2025年春、プロレス界が大きく揺れた
2025年の4月下旬から5月末にかけて、プロレス界ではファンにとって忘れがたい出来事が相次ぎました。
それは単なる退団や引退ではなく、各選手が築き上げてきた歴史や美学に終止符を打つ瞬間であり、一つの時代の終焉を意味するような、そんな濃密な数週間でした。
4月27日、横浜アリーナで開催されたスターダムの大会で、中野たむ選手が上谷沙弥選手との引退試合に敗れ、リングを後にしました。この試合はワールド・オブ・スターダム王座戦も兼ねており、たむ選手は王座奪還に失敗すると同時に、そのまま完全引退を選びました。
試合後のコメントやセレモニーすら一切なく、感情が追いつかない退場でしたが、それこそが中野たむという選手の美学だったのかもしれません。
とはいえ、彼女が長年連載してきた『週刊プロレス』内のコラム「たむプリンアラモード」で、せめて最後のメッセージを発信してほしかったというのがファンの偽らざる本音でしょう。
コズエンを結成し、赤白の両方のベルトを巻いたたむ選手は、人気と実力だけの選手ではありませんでした。
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彼女のプロレスは美と夢と戦いを融合させた独自のスタイルで、多くの女性ファンや若い層を引きつけ、新たなスターダム像を築き上げた存在だったのです。
さらに驚くべきことに、その同日、長らくIWGP女子王座を保持していた岩谷麻優選手が朱里選手に敗れ、王座から陥落。
後日、スターダムからの退団と、旗揚げ間もない新団体「マリーゴールド」への移籍を発表しました。
岩谷選手はスターダム創成期から団体を支えてきた「アイコン」であり、その決断はファンにも関係者にも大きな衝撃を与えました。
スターダムにおける象徴的な存在であった中野たむ選手と岩谷麻優選手という二人のエースが同時期にリングを去ることは、まさに団体にとってもファンにとっても「一つの時代の終わり」と呼べる出来事だったと言えるでしょう。
さらに4月~5月には女子プロレス界の“横綱”とも言える二人の大ベテラン、里村明衣子選手と高橋奈七永選手が、それぞれのキャリアに幕を下ろしました。
里村選手はセンダイガールズプロレスリングを設立し、WWE入団と女子プロ界の横綱として海外でも活躍。
高橋選手はスターダムや自身が設立したSEAdLINNNGで団体の垣根を越えたパッションな活躍を続けてきました。
【マリーゴールド】〝人間国宝〟高橋奈七永 28年10か月のプロレス人生に幕「これで成仏できると思います」|東スポWEB#pw_mg https://t.co/4iOHPzO0t9
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女子プロレス界は今、新たな価値観や人生観のもと、選手たちが「第二の人生」へと歩み出す動きを見せており、一つの競技としてではなく、人間としての成長を見守るような感覚で、我々はその動向も気になります。
しかし、女子プロレス界の衝撃が冷めやらぬ中、さらなる激震が男子プロレス界を襲います。
2025年5月4日、福岡で開催された新日本プロレスの大会において、「制御不能なカリスマ」こと内藤哲也選手が新日本プロレスからの退団しました。
内藤選手は2005年に新日本プロレスでデビューし、2010年代後半にはユニット「ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポン(L・I・J)」を結成。
そのカリスマ性と反骨精神、そして試合内容の高さで一気にファンの心を掴みました。
内藤選手は「お客様」とファンを呼び、その一言一言に誠実な思いを込めてきた、唯一無二の存在でした。彼の試合は単なる勝ち負けではなく、感情のぶつかり合いであり、物語性のある芸術作品のようでもありました。
この10年間で中邑真輔選手やオカダ・カズチカ選手といったトップスターの退団もありましたが、内藤選手の退団が与えるインパクトは、比にならないほど大きいものです。
実際、令和の大横綱・大の里関も公言するほどの「内藤ファン」であり、彼の退団によって新日本から距離を置くファンも少なくないでしょう。
また、広島東洋カープのファン層から新日本プロレスへの流入を生んでいた内藤選手の影響力を考えれば、その退団は集客面でも大きな痛手になると予想されます。
さらに、彼が率いてきたL・I・Jは、新日本プロレスにおいて存在感・実力・グッズ売上すべてにおいてトップクラスのユニットでした。
その解体もまた、新日本にとっては計り知れない損失です。
近年、新日本プロレスには「何も言わない、動かないレスラー」が増えつつあるとも言われています。
その中で、内藤選手は自分の試合がない日でも会場に顔を出し、団体を背負う覚悟を見せてきました。
そうした姿勢に報われることなく、黙々と戦い続けていた彼が最終的に嫌気をさすのも、ある意味当然だったのかもしれません。
「あまり悲しまないでよ」内藤哲也42歳“新日本プロレス退団”の衝撃…ヒザの爆弾、視力にも異常“満身創痍だった制御不能男”はどこへ向かうのか?(原悦生)#プロレス #njpw #内藤哲也 #NumberWeb https://t.co/AluMfslaFd
— Number編集部 (@numberweb) May 8, 2025
そして来年、”逸材”棚橋弘至選手も引退し、社長業に専念すると見られています。であるならば、今こそ新日本プロレスは、カリスマ・内藤哲也選手の復帰を目指して、粘り強い交渉を行うべきではないでしょうか。
2025年5月は、プロレスという一年365日動き続ける世界の中でも、特別な記憶として刻まれることになるでしょう。
思い返せば、1大会の衝撃としては1995年10月9日の「新日本プロレス対UWF全面対抗戦」が思い浮かびますが、特定の期間全体がここまで激しく動いた例は、近年には見当たりません。
これだけの動きがあれば、プロレス界から離れてしまうファンもいることでしょう。
しかし、去る者がいれば、現れる者もいます。
今こそ、残った団体のトップ選手たち、そしてこれから飛び出してくる新たなスターたちが、プロレスの未来をより強く、より深く業界になっていくのか要注目です!!