橋本真也 急逝からもう20年・・・
「時は来た!」…猪木・坂口を相手に、盟友蝶野正洋をパートナーに、東京ドーム控室でプロレスを飛び超える名言を残した破壊王・橋本真也。
訃報が駆け巡ったのは、今ほど暑くなかった2005年の7月、あの日のことを、今でも私ははっきりと覚えている。
夏の日差しがじりじりと照りつける昼下がり、ふらりと立ち寄った新宿西口のマクドナルドで、『週刊プロレス』か『週刊ゴング』の表紙は、「破壊王・橋本真也、急逝」だったような覚えがある。
えっ!?と声が出た。
時間が止まったような衝撃であり、当時のプロレスファンにとって、それはまさに一つの“時代の終わり”を告げる鐘の音だった。
【プロレス日めくりカレンダー】7月11日は橋本真也さん命日https://t.co/Sk9Pp1kJvi#週プロモバイル #プロレス日めくりカレンダー #今日は何の日 pic.twitter.com/bOUjVUvgLK
— 週刊プロレス (@shupromobile) July 10, 2025
そして、あれから信じられないことに、もう二十年もの月日が流れた。
1990年代の新日本プロレス
90年代の新日本プロレスは、第二期黄金期であり、世間にもプロレスがまだ届いていた時代だった気がする。
闘魂三銃士―武藤敬司、蝶野正洋、そして橋本真也。
誰が何と言おうと、橋本こそが「破壊王のプロレス」を体現した男だった。
パンプアップとはいえないブルドーザーのような肉体に、黒を主体に赤も入れたガウンの背中に輝くのは「闘魂伝承」の四文字。
白いハチマキを締め、あのテーマソング「爆勝宣言」が流れると、空気が変わり、会場全体が、緊張感に包まれ、怒涛の「ハッ・シ・モ・ト!」の大コールが沸き起こった。
天龍と三度の激闘!藤波戦の油断!?
1990年代中盤、新日本プロレスのG1クライマックスで繰り広げられた数々の名勝負。
忘れられないのは天龍源一郎との骨と骨がぶつかるような一騎打ちだ。
あれは確かG17連戦の最終日、待望の天龍との再戦であり、まさに剛と剛がぶつかるチョップにミドルキック、そして天龍の逆水平と、全身から火花が散るような打撃戦。
リングが軋む音までが興奮を煽った。
一方で、広島での藤波辰爾とのIWGP戦では、橋本が藤波を爆殺シューターでボコボコにする!完全に押し込んだ!と思った次の瞬間…一瞬の隙を突かれ、まさかの王座陥落!
会場中に「え!?」という声が漏れるが、、それもまた橋本であり、暴走し、破壊し、そして“やられる”こともまたドラマだった。
G1の記憶 三銃士対決、そして初優勝!!
第1回G1の蝶野戦――2度に渡ってぶつかり合ったあのシリーズは、新日本が夏を制した瞬間だった。
第5回G1盟友 武藤との優勝決定戦は、正に闘魂三銃士同士の名勝負だった。
橋本が武藤をムトちゃん、武藤がブッチャーという関係性、微笑ましかった。
「もうそんなに経つのか」武藤敬司は橋本真也さん命日、故三沢光晴さんとの初対決デーを思いしのぶ(日刊スポーツ) – Yahoo!ニュース #noah_ghc https://t.co/FQAaKbqEuy
— プロレスリング・ノア |PRO WRESTLING NOAH (@noah_ghc) July 11, 2025
そして、橋本が唯一G1を制した時の山崎一夫との優勝決定戦は、U系の匂いもある名勝負だった。
G1ではないが、後楽園ホール7連戦と信じられない興行も闘い抜いたのは橋本真也だった。
椅子大王 栗栖正伸とも試合をしていた破壊王の懐の深さも思い出す。
大型外国人レスラーとの激闘!
異種格闘技戦 では重い!怖い!トニー・ホームとの死闘は、まさに“格闘技対プロレスとは何か”を突きつける一戦だった。
そして忘れられないのは、皇帝戦士ビッグバン・ベイダーとの決戦であり、火花散るエルボー、ラリアットの応酬、そして橋本の爆殺キックがベイダーの胸板や顔面に突き刺さる!
さらにスコット・ノートン、バンバン・ビガロといったモンスター軍団との肉弾戦は、橋本の真骨頂であり、潰すか潰されるか――まさに命を削る戦いだった!
小川直也との因縁から共闘へ
“暴走王”小川直也との死闘、これも絶対に外せないし、運命の歯車があまりにも狂わされた相手であり、OH砲という伝説でもある。
1.4東京ドーム――あの一寸先はハプニングとなり、小川にボコボコにされ、ノーコンテストになるも、事実上の敗北だった。
5度に渡る魂の激突の最後となったのが、ゴールデンで放送された「負けたら即引退スペシャル」だった。
私はあの試合をリアルタイムにテレビで観ていたが、橋本が、何度も、何度も、STOを喰らい…それでも立ち上がろうとするも、でも、体が言うことをきかない。
没後20年で盟友・小川直也が明かした橋本真也の最後の晩餐 まさかの場所で「カツ丼とナポリタン」(ENCOUNT)#Yahooニュースhttps://t.co/18xf3xfkbp #蝶野正洋
— 【公式】蝶野正洋マネージメント (@managem87085834) July 11, 2025
リングに沈んでいく破壊王の姿が、プロレスを観て、あんなに泣いたのは、後にも先にもあれ一回しかない、負けたのが信じられなかったのだ。
生観戦の記憶 長州力との因縁
私は幸運にも、橋本の試合をこの目で何度か見たことがあり、その一つが、日本武道館、長州力とのグレーテスト18クラブ戦だった。
爆殺キックvsリキラリアット!もう、技が決まるたびに観客がどよめき音が違う!打撃音が響く、二人が闘えば必ずこうなると言える試合だった。
そして、2人を更に有名にした?ユーチューブ上でも有名な、あのコラコラ(タココラ)問答だ(笑)!
「タココラァァ!!」「コラコラコラァ!!」語彙が少ないのに、説得力がありすぎる挑発合戦。
あれはもう、その場にいたマスコミとの呼吸と含めた“芸術”だった。
伝説の10.9!UWFインターとの全面対抗戦!
プロレス史上、もっともファンが揺れた湧いたと言っていい伝説の対抗戦 1995年10月9日、東京ドーム!
“新日本 vs UWFインター”全面対抗戦という名の、あの一夜はプロレスの全てが詰まっていた。
武藤敬司vs高田延彦のドラスクからの足4の字固めの忘れられない名シーンであり、後世にのこる名勝負。
キレてないよで一斉を風靡した、5分ちょいの技を受けない長州vs安生のド迫力省エネマッチ。
そして、格に大きな差があったが名勝負となった橋本真也vs中野龍夫!
格上過ぎる橋本に、中野が全力で牙を剥き、キック、パンチ、関節技を決める。
だが、橋本が受けたうえで最後は、橋本の垂直落下式ブレーンバスターが炸裂した。
息子・橋本大地、そして未来へ――
橋本真也の命は、僅か40年だった、けれど、その人生は“魂”の記録であり、凄まじい密度の40年だっただろう。
晩年は怪我に悩まされ、体調不良も多かったのに、それでもリングに上がり続けた。
全日本四天王である三沢光晴や川田利明とも闘い、三銃士・四天王世代のファンの叶わなかった夢を実現してくれた。
武藤や蝶野、ジャンボ鶴田の息子もプロレスに関わることは一度として無かった。
しかし、橋本の息子・橋本大地は、今もリングで“破壊王の魂”を継承している
当時のレスリングどんたくエントランスを前奏とした「爆勝宣言」が流れるたび、私は今でも胸が高鳴る。
赤と黒のロングガウン、白いハチマキ、闘魂伝承の背文字!
“時は来た!”
何度でも、思い出し 橋本真也は永遠であり、3・2・1 破壊王 時はいつでもやってくる!!