アントニオ猪木vsハルク・ホーガン
1983年6月2日 第1回IWGP優勝決定戦 蔵前国技館
鈴木軍のビッグボス・大将の鈴木みのるが選んだ試合はファン時代と新日本プロレスに入団してからのアントニオ猪木の試合です。
この試合は、余りにも有名であり、ハルク・ホーガンのエプロンサイドでのアックスボンバーで何とあの猪木が壮絶な舌出し失神KO負け(21分27秒)
この試合は、後世に最も語られる試合の一つであり、色んな所説が入り乱れてます。
坂口征二はこの試合の後、”人間不信”と一言書いて消息を断ったと言います。
余りにも衝撃的なラストだっただけに初めは勝利に喜んでいたホーガンも次第に表情が曇り始めるのが分かります。
これまでの鈴木少年にとって、アントニオ猪木は永遠のヒーローであったのものが、この試合で猪木が失神KO負けした後 “俺がレスラーになってホーガンを倒すと決意した試合”と話します。
そこからは、控えめだったのに人を押しのける性格となり、この試合を見たことが人生の最重要ポイントと話す。
アントニオ猪木vsビッグバン・ベイダー
1987年12月27日 両国国技館
たけしプロレス軍団(TPG)乱入
この試合も後世にずっと語られる大暴動が起きた有名な大会です。
ビッグ・バンベイダーが初登場(この時は素顔)し、猪木が長州力と一戦交えているとはいえ、ベイダーの圧倒的なパワーに圧されて、何一つ反撃出来ず。
ベイダーハンマーを喰らい、滞空時間の長いブレーンバスターで叩きつけられて、最後はアバラッシュ・ホールドで僅か3分足らずでピンフォール負け(2分49秒)
この結果が観客は納得がいかず、ここからモノが飛び交う、火の手も上がりしばらく国技館が使用できなくなります。
確かに大きな不満の残る一戦とはいえ、ここから暴動が起きるなんて、昭和ファンのエネルギーがスゴすぎる。
鈴木みのるがデビューして初めての大事件であり、プロレスの心構えの一つを体験した1日だったと言います。
これほどの暴動の最中、猪木はリングにあがり「ありがとー!!」と言って逆なでするのだから(笑)燃える闘魂のカリスマ性とバイタリティーはとてもじゃないけど、計り知れません。