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【フジテレビ】楽しさなんていらない、真実だけを報道してほしい!!

TV番組
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上層には権力に憑かれた鬼しかいない

2020年代以降、地上波テレビの影響力は目に見えて衰退しています。

その中でも、かつて“視聴率三冠王”の名をほしいままにしたフジテレビの凋落は、象徴的なものといえるでしょう。

かつては「楽しくなければテレビじゃない」を合言葉に、多くの人気番組を生み出し、時代の空気を牽引したフジ。

しかし、近年は不祥事や低視聴率にあえぎ、ついには報道の信頼性まで揺らいでいる現状があります。

その背景には、タレントに頼り切った番組制作、報道番組の曖昧さや迎合体質、そして内部改革に対する本気度のなさが浮き彫りになっています。

本稿では、フジテレビの問題点を掘り下げながら、地上波テレビの未来と信頼回復のための道筋を考えていきます。

逃げ続けた上層部、改革の主体不在

「お前は戦わないで逃げるのか」——これは、フジテレビの元会長・日枝久氏が、ある幹部に対して放ったとされる言葉です。

しかし、皮肉なことにこの“叱責”をした本人は、数々の不祥事に対して最後まで表に出ることはありませんでした。

発言の内容と実際の行動があまりにも乖離していることに、多くの視聴者は落胆し、不信を深めました。

改革の旗振り役になるべきはずの幹部たちが、保身と既得権にしがみつき、番組や報道の責任は末端や制作現場に押し付けられる。

そんな構造が、いまのフジテレビには横たわっているように見受けられます。

タレント頼みの“おちゃらけ”番組づくり

フジテレビのバラエティ番組は、かつては革新性に満ちていました。「ひょうきん族」「いいとも!」「とんねるずのみなさんのおかげでした」など、時代を作る番組が連続して生まれていたのです。

しかし、今、振り返ればそれらの番組の時から、おかしくなっていて、現在はにべもありません。

視聴率を稼ぐために人気タレントを大量投入し、「内輪ウケ」や「薄っぺらな笑い」に終始する番組が目立ちます。

タレントが出演していればとりあえず成立するという安易な姿勢は、もはや時代遅れであり、SNS世代の視聴者には響かないのです。

本来、バラエティとは“笑い”だけではなく、“驚き”や“知的好奇心”を刺激するものであるべきです。しかし、いまのフジはその挑戦を自ら放棄しているようにさえ見えます。

報道の“嘘”と曖昧さ、責任不在の編集方針

さらに深刻なのが、報道番組の信頼性であり、ニュース番組においても、事実と感情を混同させるような演出が多く、時に“印象操作”とも受け取られかねない編集が見受けられます。

報道は社会の羅針盤であり、真実を伝える使命があります。にもかかわらず、フジの報道番組には、「炎上を恐れて踏み込まない」「政治権力や大企業に忖度する」「中途半端にタレントをキャスターに据えて軽薄に見える」といった構造的な欠陥が浮かび上がっているのです。

なぜ彼らは、そんなに金がほしいのか、出世したいのか、そんなにいいものを着て、食べて、人々から、羨ましがられたいのだろうか。

番組内容こそが評価の本質

テレビ局の存在意義を問う上で、最も重要なのはやはり「番組コンテンツの質」に他なりません。

スポンサーがつくか、視聴者がチャンネルを合わせるかどうかは、最終的には“面白い”“考えさせられる”“感動できる”といった番組の中身で決まります。

タレントの笑顔でごまかせる時代は終わりました。視聴者はかつてより遥かに賢くなっており、“視る目”を持っています。軽薄で中身のない番組は、容赦なく見放される時代に突入しているのです。

ここまで来たら、いっそ「フジアニメテレビ」としてアニメ専門局に再編するのも一つの手かもしれません。

日本アニメは世界的な評価を得ており、NetflixやDisney+もこぞってアニメ枠に力を入れている今、地上波でその旗振り役を担うのは大きな意義があります。

「ノイタミナ」など、フジにはすでに一定のアニメ制作ノウハウがあります。それを軸に、真剣に“ジャンル特化”の改革を打ち出せば、若年層や海外ファンを取り込むことも不可能ではありません。

堕ちたからこそできる「創造的破壊」

フジテレビは、すでに“地に堕ちた”といっても過言ではありません。

だからこそ、いま必要なのは“半端な改修”ではなく、全番組の終了と大規模な再構築——いわば「創造的破壊」です。

番組枠、制作体制、人事、広告との関係、すべてを白紙に戻し、「テレビとは何か」「報道とは何か」「娯楽とは何か」を根底から問い直す。

そのくらいの覚悟を見せなければ、視聴者の信頼は二度と戻りません。

もとい、地上波見てる事自体が、すでにダサい、テレビ見てるなんて言ったら、苦笑いされるような時代なんです。

たとえば、アメリカNBCの「Nightly News」のような硬派な報道番組は、日本のテレビ局にとって大いに学ぶべき対象です。

余計な演出を排し、スタジオにキャスターが一人で登場して、ただ粛々と事実を伝える。その潔さは、視聴者に「真剣さ」を伝えるのに十分な説得力があります。

こうした番組を日本でもそのまま字幕付きで放送することは、視聴者の英語学習にもなり、国際感覚を養う上でも一石二鳥でしょう。

「テレビは楽しくなければ」という呪縛に、フジテレビはいつまで縛られているのでしょうか。

戦争が起き、気候変動が進み、差別が蔓延る世界において、果たして“楽しい”だけの情報に意味があるのでしょうか?

報道もバラエティも、時には苦しい現実に向き合う役割があります。

エンタメとジャーナリズムのバランスを取りながら、“伝える価値”を見出す。そうした覚悟が、番組には必要です。

 

フジテレビの数々の失態に対し、「どうせまた口だけ」「変わるわけがない」と諦めている視聴者も多いでしょう。

もはや、何も期待なんてしていない、テレビの通信網を、他に明け渡す、データセンターにでもしたら、ありがたがられるかもしれません。

終わりに

フジテレビには、かつての栄光があります。だからこそ、失望も大きくなってしまうのです。

ですが、今がまさに再生のチャンスです。半端な検証や表面的な改革ではなく、抜本的な変化を恐れずに実行してほしい、今ある全ての番組を破壊して(終わらせて)私達は変わるんだ!と決意を見せたらいいではないですか!

もし、そこに本気の姿勢が見えれば、視聴者はきっとまた戻ってくるでしょう。

その第一歩は、自らの過去と真正面から向き合うこと。そして「新しいフジ」を、ゼロから創り上げる勇気を持つこと、時間なんてもうありません。