IWGPタッグに棚橋弘至と戴冠
元新日本プロレスのパワーファイター吉江豊選手が亡くなりました。
全日本プロレスの試合後に容体が急変ということですが、試合自体には関係ないようです。
遺族の方々から、死因は動脈硬化によるものとのことです。
吉江豊というと、永田裕志、中西学らと結成したG-EGGSのイメージがあり、吉江が永田や中西にやたらと鼓舞されていた記憶があります。
師匠・藤波辰爾が悔やむ〝急死〟吉江豊さんの「愛されキャラ」と「営業力」|東スポWEB https://t.co/s57IjmDjqn
— 東スポ プロレス格闘技担当 (@tospo_battle) March 11, 2024
吉江豊の出世試合と言える 2003年のIWGPタッグ選手権をNJPW WORLDで見ました。
若き日の棚橋弘至と組んで、日本を代表する名コンビ 蝶野正洋&天山広吉の蝶天コンビに挑戦(蝶天は9度目の防衛戦!)
リング下を見ると、この時は T2000でしょうか。
金本浩二、後藤達俊、邪道外道などがずらりと並び、今では想像つかない(笑)フレッシュな田口監督や矢野通もいます。
この試合が、蝶野は、東京ドームでの歴史的な試合、小橋健太戦以来の復帰戦です。
2003年と言えば、いわゆる新日本プロレスの暗黒時代と言われた頃だと思います。
しかし、試合は非常に熱く、25分を超える激闘の末、吉江がコーナートップからの135キロのド迫力プレスで勝利し、見事、 IWGPタッグ王者に輝きました。
【吉江豊選手追悼】
— NJPW WORLD (@njpwworld) March 11, 2024
吉江豊選手の過去の闘いを哀悼の意を込めて無料でお届けいたします。
ご冥福をお祈りいたします。
2003/6/13 THE CRUSH
東京・日本武道館
IWGPタッグ選手権試合 蝶野正洋&天山広吉 vs 吉江豊&棚橋弘至https://t.co/f2S7mrrvwv
2004/1/4 WRESTLING WORLD 2004… pic.twitter.com/LJFPwidA3i
この頃が全盛期の始まりと思われる135キロで、亡くなった50歳での体重が150〜160キロと言われるだけに身体への負担は相当だと思われます。
思えば、棚橋社長と3つしか違わないだけに、若過ぎます…
プロレスは、他のスポーツと違い、いつまでもプロを名乗れるだけに、心身の管理や、引き際は大事だと改めて思されます。
吉江豊選手のご冥福をお祈りいたします。