web analytics

第1回IWGP優勝戦の記憶 猪木対ホーガンと過激な仕掛け人・・

新日本プロレス
スポンサーリンク
リアルアメリカンの衝撃と、IWGP創世の記憶

猪木、ホーガン、新間氏が創った“IWGP”の始まり

2025年夏。灼熱のG1 CLIMAX35が進行する真っ只中、プロレスの歴史に名を刻んだ男の訃報が世界を駆け巡った。

ハルク・ホーガンと言えばリアルアメリカン、黄金のタンクトップ、弾けるマッスルポーズ。

そして何よりも、プロレスというジャンルを飛び越え、エンターテインメントの象徴となったアメリカンドリームの体現者。

その彼が、71歳でこの世を去った。だが、日本のプロレスファンにとってのホーガンは、決して「世界的スーパースター」という一言では語り尽くせない特別な存在である。

その原点とも言えるのが「IWGP」という、新日本プロレスの象徴ともいえるブランドに深く関わっている。


IWGP世界構想の始動

IWGP――インターナショナル・レスリング・グランプリ。その名は現在、「IWGP世界ヘビー級王座」として受け継がれ、新日本プロレスのリング上でなおも燦然と輝く。

1983年、その構想は猪木寛至の「世界一決定戦を日本で」という野望から始まった。

当時、猪木が巻いていたのはNWF(ナショナル・レスリング・フェデレーション)ヘビー級王座。

アメリカの団体から買い取ったこのベルトは、日本では絶対的な価値を持っていたが、猪木にとってそれは「仮の器」に過ぎなかった。

本当に欲しかったのは、“世界中の強豪を集め、日本でナンバーワンを決める”という舞台ではないだろうか。

その壮大な構想を形にしたのが、新間寿。

新日本の営業部長として辣腕を振るい、“過激な仕掛け人”の異名を取った名物プロデューサーだった。

新間は言う。「猪木さんの夢を実現させるためなら、どんな手も使った」。その言葉通り、彼は世界各地を奔走し、錚々たる外国人選手たちを招聘する。

そして1983年6月2日、東京・蔵前国技館。第1回IWGP決勝戦という形で、その夢の舞台が幕を開けた。


舌出し失神KOの大インパクト

――ホーガン vs 猪木、衝撃のKO劇

記念すべき第1回IWGP優勝決定戦の決勝カードは、アントニオ猪木 vs ハルク・ホーガン。

全盛期を迎えつつあったホーガンは、アメリカでも人気急上昇中だったが、まだ“世界的現象”にはなっていなかった。

一方、猪木は名実ともに日本プロレス界の頂点に立つカリスマ。観客のボルテージも最高潮に達していた。

試合は終盤、あまりにも衝撃的な形で決着する。

場外にいた猪木へ、ホーガンが助走をつけて放った必殺のアックスボンバー――いわゆる“三叉の槍”が炸裂し、猪木は舌を出してリング上に沈み、完全失神。試合はホーガンのKO勝利。

誰もが言葉を失った。まさか、猪木がKOされるなど、しかも自身が長年望んでいた最高の場で・・・

実況席では古舘伊知郎が叫ぶ。「猪木が……動かない!」「選手生命は大丈夫なのか!」。

セコンド陣が必死に呼びかけるも、ピクリとも動かない猪木。

その場にただ一人、汗も拭かずに状況を見守り続けるホーガン。そして彼と言葉を交わす新間寿の姿――。プロレス史に残る、異様とも言える静寂と緊張が、あの蔵前を包んだ。

後日談として、猪木は病院を抜け出すなどの、そのドラマ性すらも“猪木劇場”の一部だったとも言える。

それを見て「人間不信」とだけ書いた書き置きを残し、数日間失踪した坂口征二の反応もまた、後世に残るエピソードで見逃せない。


世界を“本気で”目指した、始まりの3人

第1回IWGPを支えた3人とも言える―“燃える闘魂”アントニオ猪木、“仕掛け人”新間寿、“リアルアメリカン”ハルク・ホーガン。

2022年、猪木さんがこの世を去り、2025年4月、新間寿氏が90歳で逝去。

そして同年7月、ハルク・ホーガンさんの訃報を聞き、IWGP創成期の象徴たちがこの世を去っていった。

もちろん、彼らだけではない。そこには多くの新日本所属レスラー、関係者や裏方たちが携わっていたことは間違いない中で、この三人の存在は「IWGP」の魂のように、特別な重みを持ち続けている。


40年の時を経て――IWGPが照らす未来

あれから40年以上。IWGPの冠は今や、男子レスラーだけでなく、女子プロレス団体スターダムにも波及。

IWGP女子王座という形で、女性レスラーたちも世界を目指す道標としている。

2021年には、IWGPヘビー級とIWGPインターコンチネンタルの統一により「IWGP世界ヘビー級王座」が誕生し、賛否を呼びながらも、時代の流れに即した進化を続けている。

2025年現在も、新日本プロレスのレスラーたちはこのIWGPを目指し、己の全てをリングに懸けているし、真夏の風物詩・G1 CLIMAX35では、次なる王者候補たちが鎬を削り、また新たなドラマが刻まれていく。

だが、その闘いの根底には、常にあの日の“始まり”があるのかもしれない。

蔵前国技館での失神KO、チアノーゼ状態に陥った猪木と、勝利を鼓舞しつつも、呆然と立ち尽くしているように見えたホーガンに、リング上にいた新間寿。

世界を本気で目指した男たちの、その覚悟とロマンがあった。


永遠に語り継がれるリアルアメリカン

ハルク・ホーガンという名を聞いて、日本人の多くが思い浮かべるのは、アックスボンバーとあの筋骨隆々な雄姿かもしれない。

そして同時に、“プロレスラー”という存在の代名詞として、ホーガンの名は今なお語り継がれている。

アメリカで言えばザ・ロック(ドウェイン・ジョンソン)が俳優としての成功で突出しているが、プロレスの象徴という意味ではホーガンに並ぶ者はいない。

日本では、力道山、ジャイアント馬場、アントニオ猪木、世界ではハルク・ホーガンの名が“時代の顔”として記憶されていくだろう。

この先もいろんな闘いやドラマが紡がれていく中で、始まりの猪木、ホーガン、新間氏に思いを寄せた2025年、真夏の祭典 G1CLIMAX35が開催中、灼熱の夏の一日だった。