革命戦士からツイッターまで幅広い活躍
長州力を平成・昭和のプロレスファンで知らない人は絶対にいないと断言できる程の実績と名言があります。
自らのアイデンティティとバイタリティーでプロレス界に沢山のレガシーを遺す。
その長州力が二度目の引退後から、ツイッターやテレビ出演等の活動を始めます。
そして、持ち前のキャラクターと活舌のわるさ?でブレイク(笑)
サンリオキャラの服を着るのもいとわない長州力を振り返ります。
長州力(本名は吉田光雄)は学生時代にミュンヘンオリンピックに出場。
鳴り物入りで新日本プロレスに入団。
海外修行からの凱旋時に、ファン募集で選ばれたリングネーム”長州力”に改名。
長州ははじめてこのリングネーム知った時「なんだこれは!?」と抵抗があったそうです(笑)
その後、プロレス史に残る名言「藤波、俺はお前の噛ませ犬じゃない!」発言。
アントニオ猪木に次ぐ、人気のある同世代の藤波辰爾をライバルとして、名勝負を展開。
二人のハイスパートレスリングは、ファンを熱気に包み何度も対戦をしていくうちに「名勝負数え唄」と呼ばれるようになります。
長州力は所属の新日本プロレスを離れて、ジャパンプロレスを旗揚げ。
ライバル団体の全日本プロレスに戦場を移して、天龍源一郎やジャンボ鶴田らと熱闘を展開。
長州の行くところ、常に事件と熱気を呼ぶことから革命戦士と呼ばれるようになります。
そして、再び新日本プロレスにUターンし、選手としても活躍しますが、現場監督して裏方としても辣腕を振るいます。
長州力「藤波、前田! 今こそ新旧交代だろうが。おまえら噛みつかないのか!? 今しかないぞ、俺たちがやるのは!!」
等、名言を生み出してます。
伝説の大会・1995年10月9日の新日本対UWFインターの全面対抗戦。
長州と高田延彦の電話会談により電撃決定に至ります。
1998年1月4日の東京ドームで1度目の引退
しかし、涙のカリスマ・大仁田厚の執拗な対戦アピールから遂に、2000年7月にリング復帰します。
こう考えるとあっという間に復帰します。
大仁田が新日本のリングに上がるのを阻止するために、「跨ぐなよ、跨ぐなよ」と何度も大仁田を制止。
こんな普通の言葉でもシチュエーションと影響力のある人が発すると忘れられない言葉となる。
その後も、故橋本真也選手との強烈な遺恨闘争の末に生まれた、「コラコラ問答」もあります。
実際には、お互いに何コラ!タココラ!と迫力ありまくりなんですがここまで拡がると笑えます(笑)
そして、2019年6月26日に2度目の引退。これが正真正銘、最後の試合となります。
パワーホールは鳴り続ける
神無月や長州小力、有田哲平等の存在もあり、プロレス界にとどまらない人気を誇っていた長州力。
昔はファミコンゲームに登場したことのある長州力は、髪も長髪でサラサラでした(笑)
ツイッターを始めた長州は、業務連絡のようなツイートを連発(笑)
盟友・天龍源一郎と共に、活舌の悪いプロレスラーとしても有名になり、二人でバラエティー番組に出演。
次長課長と長州力が色々な場所に出演する散歩型バラエティー番組「次課・長州の力旅」の開始。
更に、長瀬智也主演のドラマ「俺の家の話」にも台詞ありで登場するなど活躍の幅を拡大中。
元々、長州はプロレスラー時代から、同じ質問をされるのがイヤなのか、
「プロレスの話はもういいよ」とプロレスについて話すのを敬遠しています。
後輩の武藤敬司や蝶野正洋は言います。
「長州さんは、常に新しいことに挑戦している。昔の栄光にこだわらないところにリスペクトしています」
プロレスラー時代から右腕バズーカ、革命アニバーサリーと大活躍していた長州力の大変貌ぶりを見ると、正直、見たくない気持ちと、今を生きる長州はスゴイとも感じたりします。
長州力の革命記念日は常に更新されており、パワーホールは鳴り続ける。