シャアの眼差しで綴るGQuuuuuuuX最終章前夜
あれほど遠かった過去が、今、こうして手のひらの上で蠢いているとは——。
ジオン再興を旗印に掲げたこの「ジークアクス」という新たな歴史の装置の中で、再び私が姿を現したということは、宇宙世紀の原罪が、なおも人々の記憶の奥底に潜み続けているという証左だろう。
そして、その舞台装置は、あまりに露骨なまでに「ゼータ」の記憶を喚起させるものだった。
“あの場所”……まるで演出された舞台のように、高低差のあるフロア、虚構めいた照明、宙に浮く艶やかな装甲。
あれは私が「クワトロ・バジーナ」として名乗っていた、あの刻を模倣したものに他ならない。そう、グリプス戦役であり、ネオ・ジオンを興すまえだったろうか。
アムロとララァの記憶に囚われ、抗えぬ過去に膝をついた私に、ハマーン・カーンが「共に来い、シャア……世界を変えようではないか」と。
だが私は、その手を取れなかった、否、取らなかった。——ハマーンの欲する世界と、私の信じる理想が、交わらなかった。
そして「ジークアクス」で描かれたあの場面、キシリア・ザビがかつてのハマーンの如く、私に“共闘”を求めた演出には、製作陣の憎いほどの悪戯心を感じざるを得なかった。
宇宙世紀という物語は、私とザビ家の因縁が蠢いていたことを、そして、キシリアは、私が最も「殺意」を込めて向き合った仇でもあったやもしれない。
かつては、私をキャスバル坊やと言っていたザビ家の女傑だったキシリア。
「ジークアクス」という作品が、かつての『機動戦士ガンダム』や『Zガンダム』と、同じ質量を持ち得ぬことは、私のみならず、ファーストやゼータを見てきたオールドファンも気づいているだろう。
それはそうだファーストは43話、Zは50話もあり、更にそれぞれに劇場版三部作もある。
その膨大な時間の中で、戦争の悲劇、ニュータイプ論、政治的陰謀、そして愛と喪失が、緻密に、濃密に描かれていた。
あの時代の作品群には、視聴者に血の匂いを感じさせるだけの覚悟と、命の重さが確かにあった。
——一人が死ねば、その穴が物語を穿つ。それがかつてのガンダムだった。
一方、「ジークアクス」ではどうか。
生死が軽く扱われているように見えるし、キャラクターの背景に深みが足りず、「ゼクノヴァ」なる敵勢力も、いささか“流行りのパラレルワールド”の皮を被った模倣品に過ぎないやもしれない。
「アクシズショック」のような演出は確かに存在するが、あれは地鳴りのような心理的衝撃を伴った“奇跡”とは似て非なるものだ。
重力に魂を縛られた者たちが起こした軌道変更という名の祈り。それがアクシズショックだ。
それを軽々と再現してみせることは、やはり“歴史”の重さを知らぬ若者が「伝説の舞台」を踏み荒らすようにも思える。
だが、私は嘲笑したりはしない。
なぜなら、この「ジークアクス」という作品は、ファーストもZも知らぬ新世代の若者たちへの手紙なのだから。
◤アルファ殺したち◢
— 機動戦士Gundam GQuuuuuuX(ジークアクス) (@G_GQuuuuuuX) June 21, 2025
本日・土曜19時からはBS11で最新話が放送!
放送まであと1時間となります。
BS11でご視聴の方は、ぜひお楽しみください!
監督:#鶴巻和哉#GQuuuuuuX #ジークアクス pic.twitter.com/PNC7NTwHlB
宇宙世紀という永遠に未完の叙事詩に対し、「今の作画」と「現代のテンポ」で、少しでも“入口”を提供しようという意思は尊い。
そして——その入口の先に、私やアムロの過去、カミーユの叫び、ハマーンの悲哀が広がっているならば、それはそれで良いのかもしれない。
BEYOND THE TIME─時を越える者たちへ
惜しむらくは、あの名曲《BEYOND THE TIME》の演出が、やや力不足であったことだ。
『逆襲のシャア』、私が最後の選択をしたその瞬間、空に響いたあの旋律。
アムロとガンダムと、そして多くの願いが、アクシズを押し返し、人々が奇跡を目撃したそのとき、その後に流れていたのは、あの曲だった。
曲だけでなく、映像、モノローグ、表情の揺らぎ。あのすべてが奇跡を具現化したのだ。
ジークアクスがその余韻を借りるのならば、エンドロール中にも映像があれば、あの音楽には、時間を越えた祈りを宿す資格があるのだから。
そして——最後に現れた「白いヤツ」
だが、それでも私の心は揺さぶられている。
なぜなら、ついに奴が姿を現したのだ。白い機体、あの忌まわしくも眩しい存在。
「ガンダム」が、あの向こう側から姿を現した。しかも、それは正真正銘の“ガンダムに見えた。
乗っているのは……アムロ・レイか?
私と彼の関係を、軽々しく語る気はない。
我々は、宿命に抗うことができなかった双星であり、同じ女性を愛し、同じ時代を睨んでいた。
だがその中で、最も清らかで、最も残酷だった存在——それがララァ・スンだった。
もし、アムロがガンダムで現れた理由が、ララァの救出であるとするならば……それは、私たちがずっと叶えられなかった“やり直し”を、ようやく手にするということになるのかもしれない。
ララァが命を散らすこともなく、アムロと共に彼女があの時代に戻ることができるのなら——
その時、ゼクノヴァがすべてを超えた“アクシズショック以上の奇跡”となるやもしれない。
ジークアクスの終幕に、我々は何を見るのか?
最後の一話が、いよいよ近づいている。
宇宙世紀という業を背負い、パラレルの名を借りた“魂の残響”たちが、この世界で何を為すのか。
私は知りたい、アムロの存在を、ララァの行方を、私自身が向かうここではない何処かを。
それとも、「あの時代の情熱を、未来に引き継ぐ礎」になるのか。
最終回、我々が目撃するのは、歴史の模倣ではなく、未来への遺言であってほしいと願うばかりだ。
だからこそ、私は見届けよう、ジーク・アクス……それが、我々の新たなる旗印になるのか、否かを。