IWGPヘビーが泣いている
11月2日、岐阜大会で行われるIWGP世界ヘビー級王座戦。
王者KONOSUKE TAKESHITA対挑戦者・後藤洋央紀。
一見すると華やかなカードに見えるが、この一戦にどれほどの必然性があるのか。そこに立ち止まって考えざるを得ない。
何故、このタイミングでこのカードなのか。
物語性もなければ、積み重ねもない。後藤の復帰後、初の王座戦という点を踏まえても、タイトル戦に直結する理由としてはやや弱い。
ファンが望む「闘いの背景」や「因縁のドラマ」が見えてこないのだ。
IWGP世界ヘビーとは、新日本プロレスが誇る最高峰の象徴。
かつて猪木が掲げ、藤波が守り、オカダが時代を創り、棚橋がその灯を絶やさなかった――そんな系譜の頂点に立つのがこのベルトだ。
だからこそ、リング上に“理由”が見えない試合ほど、ファンにとって虚無感を覚えるものはない。
ジュニアがシリーズのメインを張るのは構わない。だが、ならばこそヘビー級の試合には、シリーズ全体を締める「深み」が必要だ。
それがなければ、「ただカードを並べただけ」のイベントに終わってしまう。
【11月2日(日)岐阜大会の“主要カード”が決定!】
— 新日本プロレスリング株式会社 (@njpw1972) October 14, 2025
・IWGP世界ヘビー王者・TAKESHITAに後藤が挑む!
・地元凱旋の棚橋がIWGP GLOBALヘビー級王者・辻に挑戦!
・「SUPER Jr. TAG LEAGUE 2025」優勝決定戦も!!https://t.co/oOZbcSPOpB#衣錦還郷 #njsjtl pic.twitter.com/gmi9hDfmEO
プロレスとは、勝敗を超えた“物語の競技”だ。
シリーズを通じて積み上げた人間ドラマがあってこそ、一瞬の勝負が光る。
それを抜きにして、ただ試合を成立させても、観客の心は動かない。
では、なぜ新日本プロレスはこうした“消費的なマッチメイク”に陥ってしまったのか。
理由の一つに挙げられるのが、「人を抱えすぎている」という構造的な問題だ。
現在の新日本プロレスは、所属選手の数が極めて多い。
その中には、才能を持ちながらも出場機会を得られない選手、存在感を薄めてしまった選手が少なくない。
これからの選手なら、海外修行というレスラーが変わる瞬間がある。
しかし、何もしないイチ軍団員みたいな選手や、ただ試合をこなしている様に見える選手が確実にいる。
結果、リング上の競争が形骸化し、誰が主役で誰が挑戦者なのか、輪郭がぼやけてしまっているのだ。
企業で言えば、「人員過多による生産性の低下」に近い。
人を減らす決断を避け、なんとなく全員を抱え続ける――それは一見、優しさのようでいて、組織の未来を蝕む。
新日本プロレスもまた、同じ罠に陥っているのではないか。
プロレス団体は、選手が主役の舞台であると同時に、経営資源を最適化しなければならない企業でもある。
選手が多すぎれば、スポットライトは薄まり、試合機会は分散する。
観客が「見たいカード」を実現する機会も減る。
やがて選手のモチベーションは下がり、ファンの熱も冷めていく――その悪循環が、いま目に見える形で現れ始めている。
思えば、WWEは定期的に大量解雇を行う。
冷酷に見えるが、その裏には「整理と再生」のロジックがある。
残った選手にとっては、チャンスと覚悟が同時に訪れる。
結果として、ブランドの鮮度と競争力が保たれている。
一方の新日本プロレスは、長年にわたり選手を“抱えたまま”運営を続けてきた。
だが、それは安全策ではなく、実はリスクの温床だ。
組織というものは、適正な人数でなければ機能しない。
人が多すぎると、意思決定は鈍り、責任の所在も曖昧になる。
個々の選手がどんなに努力しても、団体としての方向性が定まらなければ成果は出ない。
今の新日本には、その「停滞の影」が差しているように思えてならない。
逸材棚橋弘至が引退して社長業に専念するわけだから、それと同じくらい、上の世代で試合に出てない、需要がない、発言しない、そんな選手らはバッサリいかなきゃしょうがないだろう。
なんでそこはWWEをトレースしないのか、謎でしょうがない。
/
— 東京ドームシティ【公式】 (@TokyoDomeCity_) October 22, 2025
2026年1月4日(日)
『WRESTLE KINGDOM 20 in 東京ドーム』開催!🔥
\
本大会で引退する、社長の棚橋弘至選手から特別にメッセージを頂きました!
ラストマッチの舞台、#東京ドーム をバックに熱い想いを語ってくれました👍
▼大会情報はこちらhttps://t.co/p8zDono0TD#新日本プロレス #njwk20… pic.twitter.com/8EuL7mhTbA
だからこそ、今回のIWGP世界ヘビー戦は象徴的だ。
一見、豪華なカードに見えても、そこに団体としての明確な意図が感じられない。
タイトルマッチとは本来、選手と団体、双方のビジョンを示す場であるはずだ。
にもかかわらず、「何となく組まれた」ように見えるこの一戦は、団体の迷走を映す鏡のようだ。
試合そのものに期待はしている。
KONOSUKE TAKESHITAのポテンシャル、後藤洋央紀の意地。
二人の実力が交錯すれば、リング上では必ず何かが起こるだろう。
だが、その闘いが次につながる“道”を示せなければ、ベルトの価値はますます霞んでしまう。
IWGP世界ヘビー級王座は、ただの金属の塊ではない。
新日本プロレスという組織の理念、歴史、誇りが宿る象徴だ。
そのベルトが「何のための試合なのか」と問われるようでは、本末転倒だ。
ブシロードグループの中核を担う企業として、新日本プロレスには今こそ抜本的な改革が求められている。
惰性で抱えた人員を整理し、団体としての競争力を再構築する時期にきているのではないか。
プロレスは常に「闘い」を通じて再生してきた。
ならば、今こそ団体そのものが闘う時だ。
惰性と均衡に甘んじるのではなく、未来を選び取る“勇気ある決断”を――。
IWGP世界ヘビーが泣いているのは、リング上の問題だけではない。
その涙は、団体経営の盲点を突きつけているのかもしれない。
…8人タッグや10人タッグなんて、見たいわけがない。
1人2〜3分の稼働率じゃない、選手のSOULをもっとファンは見たいのだ。