web analytics

TAKESHITA対後藤洋央紀IWGP世界ヘビー開催の必然性!?

棚橋弘至
スポンサーリンク

IWGPヘビーが泣いている

11月2日、岐阜大会で行われるIWGP世界ヘビー級王座戦。

王者KONOSUKE TAKESHITA対挑戦者・後藤洋央紀。

一見すると華やかなカードに見えるが、この一戦にどれほどの必然性があるのか。そこに立ち止まって考えざるを得ない。

何故、このタイミングでこのカードなのか。

物語性もなければ、積み重ねもない。後藤の復帰後、初の王座戦という点を踏まえても、タイトル戦に直結する理由としてはやや弱い。

ファンが望む「闘いの背景」や「因縁のドラマ」が見えてこないのだ。

IWGP世界ヘビーとは、新日本プロレスが誇る最高峰の象徴。

かつて猪木が掲げ、藤波が守り、オカダが時代を創り、棚橋がその灯を絶やさなかった――そんな系譜の頂点に立つのがこのベルトだ。

だからこそ、リング上に“理由”が見えない試合ほど、ファンにとって虚無感を覚えるものはない。

ジュニアがシリーズのメインを張るのは構わない。だが、ならばこそヘビー級の試合には、シリーズ全体を締める「深み」が必要だ。

それがなければ、「ただカードを並べただけ」のイベントに終わってしまう。

プロレスとは、勝敗を超えた“物語の競技”だ。

シリーズを通じて積み上げた人間ドラマがあってこそ、一瞬の勝負が光る。

それを抜きにして、ただ試合を成立させても、観客の心は動かない。

では、なぜ新日本プロレスはこうした“消費的なマッチメイク”に陥ってしまったのか。

理由の一つに挙げられるのが、「人を抱えすぎている」という構造的な問題だ。

現在の新日本プロレスは、所属選手の数が極めて多い。

その中には、才能を持ちながらも出場機会を得られない選手、存在感を薄めてしまった選手が少なくない。

これからの選手なら、海外修行というレスラーが変わる瞬間がある。

しかし、何もしないイチ軍団員みたいな選手や、ただ試合をこなしている様に見える選手が確実にいる。

結果、リング上の競争が形骸化し、誰が主役で誰が挑戦者なのか、輪郭がぼやけてしまっているのだ。

企業で言えば、「人員過多による生産性の低下」に近い。

人を減らす決断を避け、なんとなく全員を抱え続ける――それは一見、優しさのようでいて、組織の未来を蝕む。

新日本プロレスもまた、同じ罠に陥っているのではないか。

プロレス団体は、選手が主役の舞台であると同時に、経営資源を最適化しなければならない企業でもある。

選手が多すぎれば、スポットライトは薄まり、試合機会は分散する。

観客が「見たいカード」を実現する機会も減る。

やがて選手のモチベーションは下がり、ファンの熱も冷めていく――その悪循環が、いま目に見える形で現れ始めている。

思えば、WWEは定期的に大量解雇を行う。

冷酷に見えるが、その裏には「整理と再生」のロジックがある。

残った選手にとっては、チャンスと覚悟が同時に訪れる。

結果として、ブランドの鮮度と競争力が保たれている。

一方の新日本プロレスは、長年にわたり選手を“抱えたまま”運営を続けてきた。

だが、それは安全策ではなく、実はリスクの温床だ。

組織というものは、適正な人数でなければ機能しない。

人が多すぎると、意思決定は鈍り、責任の所在も曖昧になる。

個々の選手がどんなに努力しても、団体としての方向性が定まらなければ成果は出ない。

今の新日本には、その「停滞の影」が差しているように思えてならない。

逸材棚橋弘至が引退して社長業に専念するわけだから、それと同じくらい、上の世代で試合に出てない、需要がない、発言しない、そんな選手らはバッサリいかなきゃしょうがないだろう。

なんでそこはWWEをトレースしないのか、謎でしょうがない。

だからこそ、今回のIWGP世界ヘビー戦は象徴的だ。

一見、豪華なカードに見えても、そこに団体としての明確な意図が感じられない。

タイトルマッチとは本来、選手と団体、双方のビジョンを示す場であるはずだ。

にもかかわらず、「何となく組まれた」ように見えるこの一戦は、団体の迷走を映す鏡のようだ。

試合そのものに期待はしている。

KONOSUKE TAKESHITAのポテンシャル、後藤洋央紀の意地。

二人の実力が交錯すれば、リング上では必ず何かが起こるだろう。

だが、その闘いが次につながる“道”を示せなければ、ベルトの価値はますます霞んでしまう。

IWGP世界ヘビー級王座は、ただの金属の塊ではない。

新日本プロレスという組織の理念、歴史、誇りが宿る象徴だ。

そのベルトが「何のための試合なのか」と問われるようでは、本末転倒だ。

ブシロードグループの中核を担う企業として、新日本プロレスには今こそ抜本的な改革が求められている。

惰性で抱えた人員を整理し、団体としての競争力を再構築する時期にきているのではないか。

プロレスは常に「闘い」を通じて再生してきた。

ならば、今こそ団体そのものが闘う時だ。

惰性と均衡に甘んじるのではなく、未来を選び取る“勇気ある決断”を――。

IWGP世界ヘビーが泣いているのは、リング上の問題だけではない。

その涙は、団体経営の盲点を突きつけているのかもしれない。

 

 

…8人タッグや10人タッグなんて、見たいわけがない。

1人2〜3分の稼働率じゃない、選手のSOULをもっとファンは見たいのだ。