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【ワールドプロレスリング 俺の激闘!ベスト5】#4 越中詩郎編

プロレス番組/本
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①ザ・コブラvs越中詩郎

1986年2月6日 両国国技館:IWGPジュニアヘビー級決定戦

1990年代新日本プロレスの黄金期に常に敵対して闘ってきた、黒いカリスマ・蝶野正洋と、侍・越中詩郎の歴史が深すぎる、非常に見応えある番組です。

「有田と週刊プロレス」でもお馴染み(笑)ザ・コブラ(ジョージ高野)との一戦。

身長にしろ身体能力にしろ誰に聞いても高評価のジョージとの初代IWGPジュニアヘビー級王者を決めるメモリアルな一戦。

コブラは彫刻の様な見事な体格をしており、跳躍力もハンパない。

越中は、藤波辰爾やタイガーマスクの後を受け継ぐ新日ジュニアとなるので重圧は大きかったと話す。

ニューヨークのWWFに行って、帰ってきたら新日本の巡業に参加する藤波のウルトラスケジュール等の話も聞けて、ドラゴンの偉大さを垣間見ることが出来る。

コブラのダイビング・ヘッドバットを剣山で突き刺し、ジャーマンスープレックスでピンフォール(15分22秒)

越中詩郎が記念すべき初代IWGPジュニアヘビー級王者に戴冠します!

②武藤敬司,越中詩郎vs高田伸彦,前田日明

1987年3月20日 後楽園ホール :IWGPタッグ選手権

ジュニア版名勝負数え唄とも言われた越中と高田の間にUWFの総帥、前田と、期待の新人とはいえ大抜擢の武藤敬司の注目の試合。

今でこそ注目ですが、当時のファンはなんでここに武藤が入るんだ!?とナウリーダー対ニューリーダー抗争の様に思ったかもしれません。

タイトル保持者の藤波辰爾と木村健吾が空中分解したことで生まれた王座決定戦。

おそらく、この仲間割れから伝説の後楽園ホールワンマッチ興行が生まれたのではないでしょうか。

始まりから、大越中コールが凄まじく、UWF勢に蹴られても蹴られてもド演歌ファイターは向かっていく。

越中も最初は大丈夫かと不安になったようですが、武藤の想像以上の活躍を目の当たりして高評価するなど、既に天才の片鱗を見せてます。

この試合、長州力への当てつけか、流行っていたのか分かりませんが、高田も前田もやたらとサソリ固めを狙っていく。

その単調な攻めがアダとなり高田がサソリ固めにきたところを、越中が上手く丸め込んでスリーカウント(17分4秒)

番狂わせを起こして武藤敬司、越中詩郎組が第4代IWGPタッグ王座に戴冠します。

③越中詩郎vs馳浩

1998年2月7日 札幌中島体育センター:第1回トップ・オブ・ザ・スーパーJr優勝決定戦

現在のベスト・オブ・ザ・スーパージュニアと名前を変えて継続している新日本プロレスのジュニアの祭典。

凱旋帰国第1戦で、小林邦明からIWGPジュニアヘビーを奪取と、エリート街道まっしぐらの馳に対して、”キャリアも何もないヤツに負けてたまるか”の雑草魂がいつも以上に火を吹いた試合であり、越中はゴング前から奇襲を仕掛けます。

馳浩も黒タイツ時代であり、まだ、ときめのバージンレッドに変貌前の試合であり、越中も蝶野馳がエリートというだけでなく、馳のブリッジはすごかった!等、類まれなる才能と努力を認めています。

ジュニア時代の必殺技としていたドラゴンスープレックスで越中が勝利(16分43秒)

初代IWGPジュニア王者に続いて、記念すべきジュニアのリーグ戦も第1回大会優勝と、全日本プロレスから移籍したよそ者と言われながらも、この実績と精神力はさすが”サムライシロー”です。

“侍・サムライ”の由来は、越中がメキシコで名前を憶えてもらうために、当時、メキシコで使われていたタクシーがサムライという日本車だったので、気に入って、”サムライシロー”と自ら命名したそうです。

サムライ魂や侍の様な生き方から付いた訳じゃなかったのが(笑)新たな発見でした。

④越中詩郎vs蝶野正洋

1992年7月31日 札幌中島体育センター

4戦目にして、蝶野正洋との新旧選手会長同士の一戦。

この試合が、後に越中が大ブレイクを果たした誠心会館との抗争から反選手会同盟結成するキッカケになった1戦と言えます。

越中は覚悟のスキンヘッドで登場し、会場のファンの度肝を抜き、蝶野もまだ白蝶野であるにかかわらず、ラフファイト全開で越中を大流血に追い込む。

蝶野のケンカキックを越中が肉のカーテンで阻止して、ジャーマンスープレックスを炸裂。

STFを何度もかけた蝶野が最後はレフェリーストップで勝利(15分53秒)

越中と蝶野の会話の中で、当時の二人のイデオロギーの違いが分かって聞き応えがあります。

しかし、会場の殺気に越中の大コール、会場のフルハウス振りがスゴイ!

蝶野がこの試合での越中のパワーボムで選手生命を縮めたと言える首を負傷したとの衝撃の告白・・・をしてますが、試合を見ましたが越中がパワーボムをした場面がない(笑)

試合がダイジェスト版だったかもしれませんが、蝶野の記憶違いなのか、特に試合の映像後の二人の会話でもその辺りのコメントは何もないので少し気になるところです。

⑤武藤敬司vs越中詩郎

1995年8月11日 両国国技館:第5回G1CLIMAX

武藤敬司がIWGPヘビー級王者のままG1王者となり、伝説の10.9UWFとの対抗戦。

そして、プロレス大賞MVPも獲得した武藤史上、最も大活躍したと言える1995年。

武藤のムーンサルトプレスを越中が剣山でブロックし、パワーボムを狙いにきたところを武藤がウラカンラナで返す一連の攻防も見応えあり。

終盤、武藤の雪崩式フランケン・シュタイナーを衝撃のパワーボムで武藤をコーナートップから押し潰す!

そしてドラゴンスープレックスから、パワーボムで越中が勝利(15分47秒)

平成維震軍として只一人G1に上がる中、勝利の後、斎藤彰俊が越中を肩車しますが越中はこの出来事が非常に印象に残っていると話します。

蝶野が日本に持ってきた nWoが2年の中、平成維震軍は7年もの長きに渡り活動を継続しました。

蝶野と越中は同時代に新日本プロレスの荒波の中、鎬を削ってきた中で戦友という関係で話しているので非常に興味深い内容を聞くことができます。

越中詩郎

「全部の試合がベストであり、一つも下を向くような試合はしたことがない」と言い切れる侍・越中詩郎の神髄、プロレスは本当に素晴らしい。

何度も言いますが(笑)非常に面白い内容で “プロレス版徹子の部屋”とも言える番組です。