議員でありプロレスラー
新日本プロレスでデビューし、他団体でも活躍、区議会議員としても活動してきた西村修選手が逝去されました。享年53歳です。
西村選手は全日本プロレスや他団体でもリングに上がり続け、多くのファンに愛されましたが、私の記憶では、やっぱり新日本プロレスの西村修選手です。
【訃報】
— 新日本プロレスリング株式会社 (@njpw1972) February 28, 2025
元新日本プロレスのプロレスラー、西村修さんが逝去https://t.co/oy6wmCi7qC#njpw pic.twitter.com/ztiJ9jITBl
無我の伝道師として活躍し、90年代にラリアットプロレスを否定し、長州力選手との確執もありながら、自身が信じた道を進む姿が思い出されます。
最も思い出深い試合は、実際にライブ観戦したアントニオ猪木引退試合 in 東京ドーム。
武藤敬司選手、蝶野正弘選手vs橋本真也選手、西村修選手のタッグマッチでした。
当時から、実力も存在感も完全に確立していた闘魂三銃士の中に、西村修選手が加わり闘ったことに驚かされました。
西村選手は、神様 カール・ゴッチ選手を師事し、大病を克服しレスラーと議員の二足のわらじで活躍。
西村修さんが今朝お亡くなりになられました。
— 永田裕志 (@nagata769) February 28, 2025
あまりにも早過ぎる訃報に言葉が出てきません。
第三世代の同志である西村修さんのご冥福をお祈りします。https://t.co/zxAijQJ76R pic.twitter.com/M89VAdbJ3S
天山選手や小島選手、永田選手ら第3世代の中でも、議員としての活動を含め、特異な存在だったかもしれません。
無我で師匠 藤波辰爾選手と行動を共にするも、確執が生じ、アンタッチャブルな関係になっていたのはファンなら知っていたことでしょう。
しかし、当時の状況やボタンのかけ違いで、疎遠になり、会えなくなってしまったというのは多くの人が経験していることだと思います。
最期はジャイアント馬場追善興行に、藤波辰爾選手が代わりに出場したことでわだかまりがなくなったのは、西村選手にとって大きかったように思います。
藤波辰爾 元弟子・西村修さん訃報に「彼を憎んだとかではなくてね…」 実現寸前だった〝和解〟対面|東スポWEB https://t.co/fHsO8MKcWH
— 東スポ プロレス格闘技担当 (@tospo_battle) February 28, 2025
しなやかに伸びたドロップキックや、ヘッドシザースを倒立で脱出するムーブが忘れられません。
プロレスラー 西村修選手のご冥福を心からお祈りいたします。