web analytics

吉江豊選手急逝 “G-EGGS” の頃を思い出す。。。

新日本プロレス
スポンサーリンク

IWGPタッグに棚橋弘至と戴冠

元新日本プロレスのパワーファイター吉江豊選手が亡くなりました。

 

全日本プロレスの試合後に容体が急変ということですが、試合自体には関係ないようです。

 

遺族の方々から、死因は動脈硬化によるものとのことです。

 

吉江豊というと、永田裕志、中西学らと結成したG-EGGSのイメージがあり、吉江が永田や中西にやたらと鼓舞されていた記憶があります。

吉江豊の出世試合と言える 2003年のIWGPタッグ選手権をNJPW WORLDで見ました。

 

若き日の棚橋弘至と組んで、日本を代表する名コンビ 蝶野正洋&天山広吉の蝶天コンビに挑戦(蝶天は9度目の防衛戦!)

 

リング下を見ると、この時は T2000でしょうか。

 

金本浩二、後藤達俊、邪道外道などがずらりと並び、今では想像つかない(笑)フレッシュな田口監督や矢野通もいます。

 

この試合が、蝶野は、東京ドームでの歴史的な試合、小橋健太戦以来の復帰戦です。

 

2003年と言えば、いわゆる新日本プロレスの暗黒時代と言われた頃だと思います。 

 

しかし、試合は非常に熱く、25分を超える激闘の末、吉江がコーナートップからの135キロのド迫力プレスで勝利し、見事、 IWGPタッグ王者に輝きました。

この頃が全盛期の始まりと思われる135キロで、亡くなった50歳での体重が150〜160キロと言われるだけに身体への負担は相当だと思われます。 

 

思えば、棚橋社長と3つしか違わないだけに、若過ぎます…

 

プロレスは、他のスポーツと違い、いつまでもプロを名乗れるだけに、心身の管理や、引き際は大事だと改めて思されます。 

 

吉江豊選手のご冥福をお祈りいたします。