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【武藤敬司引退】傷だらけの栄光 名勝負5試合+ラストワン!!

武藤敬司
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武藤敬司が遺した偉大な名勝負

自身の冠が付いた東京ドームで引退した選手と言えば、真っ先に上がるのが、燃える闘魂 アントニオ猪木だろう。

 

この先、世代によって、プロレスLOVE 武藤敬司に書き換えられることになるやもしれない。

私の中で、厳選した武藤敬司の名勝負、名作品を時代順に列記したい。

この試合は素晴らしかった、同感だ!と思ってもらえれば、さしあたって嬉しい限りです。

 

1.1990年4月27日 東京ベイNKホール IWGPタッグ選手権

王者 橋本真也・マサ斎藤vs武藤敬司・蝶野正洋(武藤、蝶野組の勝利)

新生・武藤敬司の始まりと言える試合であり、この試合を見て武藤敬司のファンになった人は多いのではないだろうか。

 

入場曲にHOLD OUTを使いだしたのも、黒タイツから赤タイツにチェンジしたのもこの試合からであり、ワールドプロレスリング放送日が土曜日の夕方16時になったのも確かこの放送回からだ。

今から思えば、1時間放送と贅沢だが、大体、月の1回か、多い時は2回もゴルフ中継で中止になっていた(笑)

 

当時の武藤敬司の躍動感と格好良さは本当にヤバかった!

スペースローリングエルボーや、ムーンサルトプレス(ラウンディングボディプレス)の飛距離とスピードもすごかった。

 

しかし、フェイス・クラッシャー(フェイスバスター)の高さと、空中での浮遊感の長さがまぁ、凄くて、トップロープに一足飛びでヒョイと上がる仕草など、188cmの選手がやってしまうことが驚愕だった!

闘魂三銃士時の3人が、タイトルマッチで激突するシチュエーションと、挑戦者組の勝利と、この試合のインパクトは特大だった。

 

2.1991年8月11日 第1回 G1CLIMAX決勝戦

武藤敬司vs蝶野正洋(蝶野が勝利し優勝)

2023年の現在も続く、新日本プロレスの超ドル箱シリーズであり、1990年の隆盛の象徴の一つと言える”真夏の最強戦士決定戦”

 

第1回大会は、本当に厳選されたトップ選手8人のみがエントリーし、両国国技館三連戦で覇を競い合う。

30回を超えるG1の歴史の中で、全参加選手をそらで言えるのは、第1回大会だけだ。

藤波辰爾、長州力、武藤敬司、蝶野正洋、橋本真也、ベイダー、ビガロ、ノートン

 

闘魂三銃士が大活躍した大会であり、今のリーグ戦は最終的には、二人が決勝戦に上がっていくが、この時は、橋本と蝶野の勝ち点が同じで、優勝進出決定戦が行われた。

 

武藤と蝶野の決勝戦は29分を超える激闘となり、フィニッシュが後にも先にも見たことない蝶野正洋のパワーボムで決まったと言うのも忘れられない。

 

当時は、ラリアットプロレス、パワー系レスラー全盛だったが、闘魂三銃士は誰一人、ラリアットもパワーボムも常用しないところに他のレスラーとは違う大きな個性を感じた。

 

蝶野正洋の優勝が決まったあと、惜しくも決勝戦に進めなかった橋本真也が両雄の手を上げて、一枚の写真に収まっているシーンはメモリアルだ。

 

3.1995年10月9日 東京ドーム 新日本プロレス対UWFインター全面対抗戦

IWGPヘビー級選手権 王者 武藤敬司vs高田延彦(武藤敬司の王座防衛)

武藤敬司の試合映像で最も目にする試合であり、プロレスファンだけでなく、外にも一番知られている試合がこの歴史的一戦だろう。

 

武藤敬司も世間に波及効果も含めて、ベストバウトのナンバー1に挙げてるし、飯伏幸太も10月9日には必ず、この試合を見てるツイートもしているぐらいだ。

 

・長州力ー高田延彦の電話会談で東京ドームの対抗戦が電撃決定。

・長州力のキレちゃいないよ(キレてないですよではない)が後年、流行語になる

・武藤敬司のドラゴンスクリュー~の足四の字固めがプロレス界で流行、武藤としての、ムーンサルトを温存できるようになり、選手寿命が結果、60歳まで延ばすことができた。

 

・驚愕の67000人の大観衆(私もその一人)が詰めかけた等々、多くの伝説を残した大会。

1467年応仁の乱、1192年の鎌倉幕府が成立(1185年説もある)、1582年の本能寺の変等、有名な日本史年表。

 

しかし、1988年8月8日 アントニオ猪木対藤波辰爾の60分フルタイム名勝負。

1995年10月9日 新日本プロレス対Uインター対抗戦は、年だけでなく日付までインプットされている。

それぞれのファンに絶対に忘れないメモリアル大会があると思うが、私にとってはこの日は特に忘れられない。

 

何十回も団体問わず、プロレス生観戦しているが、他は試合内容を思い出してもさすがに年月日は思い出せないだけに、10.9はファンに、プロレス史にとっても本当に貴重な大会だ。

 

4.2004年7月10日 東京ドーム GHCタッグ選手権

王者 三沢光晴・小川良成vs武藤敬司・太陽ケア(王者組が防衛)

武藤敬司と三沢光晴という、ファンも両選手もライバルとして若いころから常に意識していたが、新日本プロレスと全日本プロレスという二大メジャーライバル団体に所属。

 

更に、バリバリのトップ選手且つ超人気選手もあって、ボーダーラインも高く、闘えるのはゲーム(ファイプロ)の中だけだろうと思っていた。

 

しかし、両選手が団体を移籍、旗揚げしたことで実現した奇跡の対戦に、胸躍らない訳がない。

両選手が向かい合い、三沢の強烈なエルボーや、武藤敬司の閃光魔術が炸裂する、言葉で終わらなかった夢の対決。

 

この頃には、闘魂三銃士と全日四天王の垣根も取り払われていたが、この二人の対決は格別であり、対戦は1回、組んだのは1回とリングで相対したのは僅か2回だが、本当にドリームな瞬間だった。

武藤敬司は引退マッチを行うことは、”それ”が叶わなかった盟友 橋本真也や三沢光晴の想いも背負っていると言う。

 

三沢光晴に憧れNOAHに入団、虎殺法を得意技とし、更に武藤敬司の数々の技を継承した清宮海斗が存在する令和の時代に、時代が動いていることを実感する。

 

5.2021年2月12日 日本武道館 GHCヘビー級選手権

王者 潮崎豪vs武藤敬司(GHC王座に武藤が初戴冠)

晩年の武藤敬司の試合で最も感動した試合と言えばこの試合ではないだろうか。

自ら起ち上げたW-1が解散し、団体の長からイチプレイヤーに戻った武藤敬司。

 

55歳を過ぎており、これまでの栄光が素晴らし過ぎて、正直、この時は寂しさを感じてしまった。

しかし、NOAHに参戦し、あっという間にポジションを確立し、王座挑戦権を獲得。

 

どちらが勝利するか本当に分からないシチュエーションはこの試合が最後だったかもしれない程に、手に汗を握りながらAbema観戦した。

 

封印したハズのムーンサルトを飛ぼうとトップコーナーで逡巡した時のシーンは忘れられない。

その後の、やるやるムーンサルトではなく(笑)何十年の相棒だった必殺技を出せない武藤敬司の苦悩が伝わってきた。

 

そこで思いとどまり、最後の奥の手であるフランケンシュタイナーでの王座戴冠は感動的だった。

その後の、驚き過ぎた最後の所属団体となったNOAH入団!

10年振りとなる同試合での東スポ年間最高試合賞と武藤敬司ここに在り!を見せてくれた。

 

上記5試合以外にも、破壊王 橋本真也とのIWGPやG1での数々のシングルマッチ。

プロレスリングマスターとも、ミスタープロレス対決と言われた、天龍源一郎との一戦等、珠玉の名勝負がまだまだある。

 

しかし、武藤も常々言っているが、当時は毎週テレビで見ていた武藤敬司の試合が、団体移籍によって一試合も見られなくなった。

雑誌や新聞で活躍は追えても、強く印象に残るのがどちらかは明白だろう。

現在の様に、テレビ以上にサブスクやYoutubeがあった時代じゃないだけにテレビ視聴は非常に大きかった。

 

そして、2023年2月21日 東京ドームでの引退試合

武藤敬司vs内藤哲也

ライブ観戦か、テレビ視聴もABEMA格闘チャンネルでの無料視聴もない、PPV購入での試合観戦。

新しもの好きで、ロイヤリティにうるさい(笑)武藤敬司らしい最後の瞬間。

全盛期の動きも、ベストコンディションとも程遠い現在でも、勝負論だけでないプロレスに若い頃から気付き、実戦してきたプロレス LAST LOVEで何を見せてくれるのか?

グレートムタFINALと同じように、リアルタイムに東京ドームで1分1秒を感じ取るつもりだ。

 

日本プロレス史上最大の夜に、不世出の天才 武藤敬司の現役レスラーとしてプロレスLOVEの幕が下りる・・・

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