ホーガン リアル・アメリカンの軌跡
世界中のプロレスファンが、一人の偉大な男の訃報に言葉を失いました。
「超人」ハルク・ホーガン――本名テリー・ボレア氏が、2025年7月25日、71歳で亡くなりました。
その訃報はアメリカ中を駆け巡り、主要テレビ局が速報で大きく報じました。
中には、トランプ政権の動向や国際紛争を差し置き、5分近くにわたりホーガン追悼特集を放送した局もあるほどです。
71歳で急死のハルク・ホーガンさん偉大な足跡 新日プロに参戦し猪木と激闘 05年にはWWE殿堂入り |東スポWEBhttps://t.co/XE1oCbX93y
— 東スポ プロレス格闘技担当 (@tospo_battle) July 25, 2025
まさに、プロレス界のみならずアメリカ大衆文化における「レジェンド」として、その影響力は計り知れないものでした。
私はホーガンの全盛期をリアルタイムで目撃した世代ではありません。
しかし、プロレスというものが「ヒストリー(歴史)」であるならば、ホーガンほどに語り継がれ、世界的に通用した存在はいないと断言できます。
プロレスを知らない人でも、「ハルク・ホーガン」の名を耳にしたことがある――それこそが彼の真の偉大さを物語っています。
猪木にKO勝利――伝説のIWGP第1回大会
ハルク・ホーガンと日本の縁は深く、そしてドラマティックです。
特に1983年に開催された「第1回IWGPリーグ戦」の決勝戦は、今なお語り草となっています。
相手は、言わずと知れたアントニオ猪木。日本プロレス界の象徴とも言えるカリスマを相手に、ホーガンはまさかの「アックスボンバー」で舌を出して失神させる衝撃のKO勝利を収めたのです。
この試合を機に「チアノーゼ」という医療用語を覚えたというファンも多く、後に坂口征二氏が「人間不信」と記したエピソードは局地的に知られています。
レッスルマニア3──アンドレを持ち上げた
ホーガンの世界的な名声は、WWE(当時WWF)での活躍なしには語れません。
なかでも1987年、「レッスルマニア3」において、アメリカ・ミシガン州のポンティアック・シルバードームに9万3000人以上を集めた大会でのアンドレ・ザ・ジャイアント戦は、まさにプロレスの歴史を変えた瞬間でした。
2メートル20センチ、体重260キロ超のアンドレを、ホーガンが豪快にボディスラムで持ち上げたその瞬間。
観客は総立ちになり、全米が沸騰し、正にレッスルマニア モーメントです。
このシーンこそが、ホーガンを「アメリカの象徴」に押し上げた決定的な瞬間であり、スポーツエンターテインメントの金字塔であるレッスルマニアの象徴でもあります。
日本でのムタ戦、ハンセン戦─
ホーガンはWWEでの成功後も、日本への思い入れを持ち続けていました。
1993年、福岡ドームで行われた「レスリングどんたく」では、グレート・ムタとの一戦が実現。
奇しくもこれは、WWEでの大成功を遂げた後の“凱旋試合”とも言えるものでした。
武藤敬司 ハルク・ホーガンさん悼む「代わるレスラーは地球上にいねえよ。歴代で、だ」
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ムタは妖艶で、掴みどころのないファイトスタイルを得意とし、あの猪木をも苛立たせたと言われる男。
その変幻自在ぶりは、ホーガンのパワーファイトと対極にあるスタイルでしたが、だからこそ名勝負が生まれました。
また、1990年の「日米レスリングサミット」では、スタン・ハンセンとの一騎打ちも行われています。
パフォーマンス含むホーガンと真っ向勝負を挑むハンセンとの試合は、まさに「水と油」であり、ぶつかり合い、削り合いながらも、観客の歓声と悲鳴を引き出すその迫力は、今見ても新鮮です。
“ハリウッド”ホーガン──史上最高のヒールターン
1996年、ホーガンはプロレス界に衝撃を与える決断を下します。
長年築き上げてきた「正義の象徴」「子どもたちのヒーロー」というイメージを裏切り、ヒールユニット「nWo(ニュー・ワールド・オーダー)」を結成。
自らを「ハリウッド・ハルク・ホーガン」と名乗り、黒と白の新コスチュームを身にまとったのです。
これはまさに、プロレス史上屈指の「ヒールターン」と言われ、観客からのブーイングもまた圧倒的。
ですが同時に、圧倒的なカリスマと“悪の美学”を体現したこの姿に、多くのファンが再び魅了されました。
まるでアメリカン・コミックスのヒーローが“ヴィラン”に転生したかのようなドラマ性。
それすらエンターテインメントに昇華してしまうのが、ホーガンという存在の強さだったのです。
完璧超人とホーガン
ホーガンの存在は、プロレスというジャンルを超えて、サブカルチャーやフィクションにも多大な影響を与えました。
日本では、漫画『キン肉マン』の完璧超人・ネプチューンマンのモデルがホーガンとスタン・ハンセンであることはファンの間では有名です。
屈強な体格、サングラス、決めポーズ――まさに“ホーガン的記号”は、多くのキャラクター造形のベースとなりました。
悲しい あんなプロレスの界のスーパースターは何十年経っても出てこないな。代わりにオマージュキャラ ネプチューンマンを暴れさせます!!パースターはハルク・ホーガンさん死去 プロレスラー アントニオ猪木さんと対戦(毎日新聞)#Yahooニュースhttps://t.co/6vSzFsRA1d
— ゆでたまご嶋田 (@yude_shimada) July 25, 2025
また、ホーガンは俳優としても一定のキャリアを築いており、1989年には映画『ノーホールズ・バード』に主演。
ロッキー3でのレスラー役は、まさに当たり役で、スタローンとの激突は興奮します。
プロレスラーとしての肉体、俳優としての演技力、そしてカリスマとしての象徴性――それらすべてを備えた稀有なエンターテイナーであり続けたのです。
「イチバーン!」という叫び
ホーガンが日本のファンの前でよく口にしていたフレーズがあります。
「イチバーン!!」
この、何とも単純で力強い日本語を、ホーガンはリングの上で幾度となく絶叫しました。
あの大きな体を揺らし、右腕を天に突き上げながら。
この言葉に、嘘はありませんでした。彼はまぎれもなく、「ナンバーワン」だったのです。
【ハルク・ホーガンさん追悼】
ハルク・ホーガンさんの過去の闘いを哀悼の意を込めて無料でお届けいたします。ご冥福をお祈りいたします。
1983/5/27 IWGP決勝リーグ戦
ハルク・ホーガン vs アンドレ・ザ・ジャイアントhttps://t.co/pkg90WUpTu1983/6/2 IWGP決勝リーグ 優勝決定戦… pic.twitter.com/rdhHODnr4Q
— NJPW WORLD (@njpwworld) July 25, 2025
私たちは忘れません。IWGPでの衝撃、レッスルマニアでの英雄譚、ハリウッドでの裏切り・・・すべてが、ハルク・ホーガンという存在の“物語”です。
最後に、あらためて敬意と哀悼を込めて。
ハルク・ホーガンさん、あなたは、いつまでも“イチバーン”
Rest In Peace.