同族者と革新者のせめぎ合い
アイドルから副社長に転身、裏方に徹してきたタッキーこと滝沢秀明のジャニーズ事務所電撃退所には驚きました。
一説には、自身が手塩に育てたグループのマネジメントを取り上げられての退所等と言われてます。
ジャニーさん亡き後、大変だろうけど、ずっと支えていくんだろうなぁと漠然と思ってました。
しかし、経営者との軋轢や人を動かす難しさが働いたのでしょう。
タッキー電撃退社の衝撃! 最後は「代理人同士で交渉」報道にファンは疑心暗鬼|東スポWEB https://t.co/Xcu1rZsVQu
— 東スポ (@tospo_prores) November 1, 2022
この報道を聞いて思い出したのが、プロレスリングNOAHの創業者、方舟の盟主・三沢光晴選手です。
全日本プロレスでデビューし、2代目タイガーマスクの仮面を脱いだ後、超世代の旗手として、怪物 ジャンボ鶴田選手に真っ向から挑む!
その後、プロレス史に燦然と輝く四天王プロレスの中心として、時代を築いていく。
ジャイアント馬場社長が亡くなった後、若くして全日本プロレス社長に就任。
日本武道館で五大シングルマッチを組むなど、新たな挑戦に取り組みます。
#伝説の男達 ~ #1083
— LAST-MAN (@Game_Over9891) March 11, 2022
~ 三沢光晴 ~ ( Mitsuharu Misawa )
#prowrestling pic.twitter.com/5EiAo3TrQ4
しかし、伝統を守ろうとする馬場元子オーナーとの意見ややり方の違いにより、社長を僅か1年で退任。
自らの理想を具現化すべくNOAHを旗揚げし、新日本プロレス、全日本プロレスよりも圧倒的に歴史が浅い中、メジャー団体に成長させました。
実際のところは分からないにせよ、創業者やオーナーの権威や古くからいる社員らとやっていくのが、いかに難しいかがわかります。
タッキーは昔、引退したアントニオ猪木とエキシビジョンのエキシビジョンの様な感じで(笑)リングで向かい合ったことがあります。
スーパーアイドルSMAPも木村拓哉以外、皆退所して、新しい地図を拡げています。
プロレスラーも移籍や退団、あるいは復帰など(笑)毎度の様にあります。
退所した滝沢秀明は理想のエンターテイメントを築いていくのか?
その一足が道となり、その一足が道となる。
タッキーの踏み出した一歩、ネクストに期待したいです。