気持ちは分からないけれど
槇原敬之の「もう恋なんてしない」は、数えきれないほどのラブソングの中でも、ひときわ特別な距離感で私たちの心に寄り添ってくれる楽曲だと思います。
華やかでも劇的でもない。けれど、だからこそリアルで、どこか既視感があって、まるで自分のことのように感じてしまう。思い出の中の、あの部屋の空気や匂いまでもがよみがえるような、そんな身近さがあるのです。
たとえば、並んだ二本の歯ブラシ。あるいは、別れた後にひとりでゴミ箱を抱えている「僕」の姿。そんな、ふとした描写にこそ、心をぎゅっと掴まれる。誰かと暮らした日々の記憶って、案外そんな小さな風景の中に潜んでいて、ふと思い出しては胸がきゅっとなるものです。
この曲には、そういう「生活」のひとコマひとコマが、あたたかく、でも切なく刻まれています。
一緒にいるときはきゅうくつに思えるけど
やっと自由を手に入れた
ぼくはもっと淋しくなったさよならと言った杖の
気持ちはわからないけど
いつもよりながめがいい
脇の下に少し とまどってるよ
もし杖に一つだけ 強がりを言えるのなら
もう恋なんてしないなんて 言わないよ絶対。 pic.twitter.com/oZFLSbIoRR— KENTA aka Lil’K (@KENTAG2S) February 15, 2022
今でこそ「ミニマリスト」なんて言葉もすっかり馴染んだけれど、ほんの少し前まで、「君のぬけがら」に囲まれて暮らすことが幸せだった時期が、誰にもあったんじゃないでしょうか。
過ぎ去った恋の面影って、たとえば洋服の残り香や、ふと目に入ったマグカップの柄だったりして。そういう些細なものたちが、不意に思い出を引っ張り出してしまう。何度聴いても、その親しみと切なさに、心の奥がじんわりと染みていきます。
そして、やっぱり最後の一行。「もう恋なんてしないなんて、言わないよ絶対」。このフレーズが、やさしいメロディに乗って流れてくると、不思議と涙が出そうになります。
ユーモアのようにも聞こえるし、照れ隠しのようにも聞こえる。でもその奥にあるのは、恋をして、傷ついて、それでもまた人を好きになりたいと思ってしまう人間らしさ。その不器用な強さが、とてもいとおしく感じられます。
この曲には、かつての自分が、今の自分が、そしてこれからの自分さえも、そっと重ねられる。
そんなふうにして、多くの人の心のなかで、いや私の中にずっとで生き続けている名曲です。