デビューから最期の瞬間まで燃える闘魂 アントニオ猪木
アントニオ猪木が79歳で死去の報道を知った時は声になりませんでした。
難病である「全身性トランスサイレチンアミロイドーシス」と一進一退の闘病生活を、NHKのドキュメント番組で放送。
ファンや同じく病気で苦しんでいるに勇気を与えようと24時間テレビ等の番組に、僅かでも出演してくれたアントニオ猪木。
東京ドーム超満員札止めの中でプロレスラーアントニオ猪木の引退試合を生観戦し、”道”を聞いたのを思い出します。
「この道を行けばどうなるものか。 危ぶむなかれ、危ぶめば道はなし。
踏み出せばその一足がみちとなり、その一足が道となる。 迷わず行けよ、行けばわかるさ。」
これまでに観戦時は元より、プライベートでも”1・2・3 ダァー!!”を何度,叫んだでしょうか。
オカダカズチカはアントニオ猪木が元気になった時、猪木さんを新日本プロレスのリングにお呼びしたいと、今年の3.1日本武道館 旗揚げ記念大会で話していましたがかないませんでした。
アントニオ猪木さん死去 プロレス界の巨星堕つ|東スポWEB https://t.co/TvJ7P34S5v
— 東スポ (@tospo_prores) October 1, 2022
しかし、アントニオ猪木が創設した新日本プロレスは50周年を迎え、更にこれからもっと今以上に発展し、成長していくハズです。
猪木が常々言っていた世間に届くプロレス団体になっていくでしょうし、ファンは応援していきます。
BI砲で一時代を築き、日本プロレス界の礎を共に築いてきた永遠のライバル ジャイアント馬場が逝去されたのが1999年1月31日(61歳)
ジャイアント馬場をはじめ、多くのライバルや先輩、後輩らとあの世で再会するのでしょう。
リング上だけでなく、色々な場面で数々の勇気や怒り、感動、元気を届けてくれてありがとうございました。
安らかな眠りにつかれますよう心よりお祈り申し上げます。