内藤哲也と丸藤直道は不出場
新日本プロレスの夏の風物詩「G1 CLIMAX」が終わると、次にやって来るのがNOAHの「N1 VICTORY」です。
いまや、秋の大型リーグ戦として定着した感があります。
もちろん、G1とN1では大会の規模も出場選手の人数も異なります。単純に比較することはできません。
しかし、両大会を見比べたとき、ファンが気になるポイントがあります。
それは、**「現在の王者がリーグ戦に出場するのか」**という問題です。
今回のN1では、GHCヘビー級王者の内藤哲也、そしてGHCナショナル王者の丸藤正道が、ともに出場しません。
これは、将棋で言えば王だけではありません。飛車、角までいない状態でリーグ戦を戦うようなものです。
もちろん、王者がいなくても、N1そのものは成立します。
実際、魅力的な選手は数多く出場しますし、リーグ戦だからこそ生まれる意外な対戦や、新しいスターの台頭も期待できます。
しかし、ここで一つ考えてみたいことがあります。
「最高峰の王座を持つ選手が出場しないリーグ戦を、NOAHはどのように位置づけているのでしょうか?」
怪我でもない中で、このケースは初めてかもしれません。
一度そうした形が認められると、「王者は必ずリーグ戦に出場する」という従来の考え方が、少しずつ変わっていく可能性があります。
ここは非常に重要なところです。
なぜなら、リーグ戦には単なる「強い選手を集めた大会」という以上の意味があるからです。
優勝者が、その団体の頂点に挑戦する。
そして、王者を倒すために、出場選手たちがしのぎを削る。
その構図があるからこそ、リーグ戦は盛り上がります。
ところが、肝心の王者が参加していない。
そうなると、リーグ戦の意味が少し変わってきます。
もちろん、内藤哲也が出場しない理由が、本人の意思によるものなのか、コンディションによるものなのか、それとも別の事情があるのかは、外部からは分かりません。
しかし、ここで忘れてはいけないのが、最終的に大会をどうするのかを決めるのは、選手だけではないということです。
選手が「出ない」と意思表示したとしても、団体としてそれをどう判断するのか。
そこにはNOAH首脳部の考え方が問われます。
これは内藤哲也を批判するという話ではありません。
むしろ問題は、「王者が出場しないことを、団体としてどこまで許容するのか」ということなのです。
実際、拳王は早くからこの問題を指摘しています。
そして、おそらく同じように疑問を感じているファンは、拳王やKENTAだけではないでしょう。
新日本プロレスや全日本プロレスを見ていると、団体の最高峰王者が大型リーグ戦に参加することには、やはり大きな意味があります。
もちろん、それぞれの団体には、それぞれの事情があります。
だから「他団体がやっているからNOAHも同じにすべきだ」と単純に言うこともできません。
ただし、ここで一つの問題提起はできます。
N1 VICTORYは、NOAHの頂点を決めるための戦いなのか。
それとも、王者とは別のところで行われる独立したリーグ戦なのか。
この違いを、ファンにどう説明するのか。
そこが重要なのではないでしょうか。
王者二人が不在でも、N1は間違いなく盛り上がるでしょう。
むしろ、王者がいないからこそ、新たな選手が台頭する可能性もあります。
しかし、その一方で、王者が「高みの見物」をしているように見えてしまう危険性もあります。
そして、この状態が何度も続けば、ファンの中に、
「N1で優勝しても、本当にNOAHの頂点に近づいたと言えるのだろうか?」
という疑問が生まれてしまうかもしれません。
これは大会そのものの価値にも関わる問題です。
だからこそ、今回のN1は単なるリーグ戦として見るだけではなく、**「王者とリーグ戦の関係をNOAHはどう考えているのか」**という視点からも注目したいところです。
果たして、二人の王者が不在のN1は、どんな結末を迎えるのでしょうか。
そして、その先にNOAHが描いている「N1 VICTORY」の姿とは、いったいどのようなものなのでしょうか。
王者がいないからこそ、新しい時代が始まるのか。
それとも、王者不在という問題が、あらためて浮き彫りになるのか要注目です!!
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