清宮待望論か否か
プロレス界に突如現れ、今や“業界内最注目王者”となったOZAWA。彼の快進撃は、多くのファンや関係者の予想を裏切り続けてきた。象徴的なのが、5.3両国での防衛劇。
多くが、NOAHへ電撃再入団を果たしたKENTAの王座戴冠を予想していたが、OZAWAはそれすらも退けてみせた。勢いだけでなく、地力をも感じさせる勝利だった。
OZAWAの登場は、単なる新星の台頭にとどまらない。
マイク一つ取っても、拳王でも試合後は相手を礼賛する中で、OZAWAはベテランを躊躇なく「ロートル」と切り捨てる。
これは、プロレスの文脈における“礼儀”や“敬意”すらも打ち破る潔さであり、それが一部のファンには痛快に映っている。
もしかしたらOZAWA自身、長くレスラーとしてリングに立ち続けるつもりはないのかもしれないが、鮮烈な存在感を際立たせている。
OZAWAの魅力はリング外にも広がる。喫煙、スロット、ナンパ──アスリートであれば隠しがちな“素の自分”を隠さず、SNSや発言でも「ありのまま」を見せる姿勢は、まさに“Let it go”だ。
その無防備ともいえるスタンスが、飾らないカリスマ性を生んでいる。
身体能力と若いから注目されているわけではなく、OZAWAという一個人の“今”を、もっと見たいという欲求がファンの間に確かに存在しているのだ。
方舟伝承マッチ(笑)勝利おめでとう!
— OZAWA (@noah_taishi) May 5, 2025
お前の目もキラキラ輝いてたぞ。
後楽園ではハンカチ忘れないようにな〜#noah_ghc#泣いてる姿自撮りしてアップしたら多分バズるぞ https://t.co/Dtq6vrgFgQ
そのOZAWAに、元旦の敗北を経て満を持して挑むのが清宮海斗である。しかし、その挑戦表明後の観客の反応──それはブーイングだった。
歓迎されていないというよりも、勝利後の未来をファンが期待していない、そう感じられる空気がそこにはあった。
清宮は長らくNOAHの“顔”としてリングを支えてきたエースだ。だが、ここに来てその存在感はOZAWAの陰に隠れつつある。
清宮は、OZAWAにプライベートを暴露された際に“潔さ”を見せることなく、保身に回った様な気もした。
比較されるのは酷かもしれないが、OZAWAのキャラクター性と対比すると、どうしても物足りなさが浮き彫りになる。
それでも、だからこそ空気を読まずにベルトを奪還してこそ清宮海斗なのではないか。このまま埋もれてしまっていい存在ではないし、真価が問われるのは、こうした逆風の中でこそだ。
仮にそれを振り払えず、OZAWAが王座を守るなら、拳王ら次なる挑戦者を迎える展開が待っているだろう。
どちらにしても、NOAHの景色は再び塗り替えられることになるのだろうか。
OZAWAか、清宮か──勝敗以上に注目すべきは、プロレスの“空気”を変える者は誰になるのか要注目だ!!