2025年・灼熱の参院選──自民党「驕り」の代償
2025年の夏、日本列島は猛暑に見舞われているが、それ以上に熱を帯びているのが、まさに参議院選挙だ。
表面的には「給付」か「減税」かという、単純な構図のように見える今回の選挙戦。
しかし、その奥底に横たわるのは、有権者の生活を蝕む物価高と、それに真剣に向き合ってこなかった政治の怠慢、そして長年政権を握り続けた自民党の「驕り」そのものだ。
与党・自民党は長らく政権与党として日本を導いてきた。
「戦後日本の復興」から「経済成長」、「失われた30年」も経て、今やその存在は政治の中枢というよりも、制度として染み付いてしまったかのような印象すらある。
しかし、2025年現在、その信頼は大きく揺らいでいる。今回の参院選を見ても、その兆候ははっきりと見て取れる。
【参院選比例投票先】日経 世論調査
— 言霊 (@edmsedms3) July 2, 2025
前回参院選前との比較
左: 2022年6月(前回参議院選前) / 右: 2025年6月(今回参議院選前)
自民 43% → 29%
立民 8% → 12%
維新 10% → 6%
国民 2% → 12%
参政 - → 7%
○ 新興政党(国民,参政)の躍進・台頭
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自民党は国民全員への2万円給付を政策の柱として掲げた。「物価高対策」「経済活性化」とうたうものの、実質的には選挙前の“ばら撒き”と批判されても仕方がない内容だ。
確かに一時的な安心感や現金の魅力はあるだろう。だが、冷静に見れば、それが生活を根本から支えるものではないことは明白だ。
特に注目したいのは、この「一律給付」が本当に必要な層に届くのか、という点である。
2万円という額面に踊らされがちだが、学生や未成年に対して給付されたところで、その多くは結局親が管理し、生活費に吸収される。かといって、親世代が特段潤うわけでもない。
高齢者や非正規労働者、年金受給額が物価に追いつかない人々への直接的支援は極めて乏しいままだ。
このような“広く薄く”配る施策は、政治の責任逃れにすぎない。
一見、「国民全員を対象にしている」ことで公平性を装いながら、実は中間層以上、あるいは政策を理解する層にしか響かないような巧妙な設計になっている。
それゆえに、給付策そのものが、有権者への「ご機嫌取り」と捉えられる所以でもある。
本来、政治の役割とは、“苦しんでいる人”に手を差し伸べることであるはずだ。
しかし今の自民党には、その姿勢が欠けているように見える。
長年政権を担い、選挙では「勝つのが当然」、派閥の調整で人事を固め、支持団体との関係で政策を構築する。
その積み重ねの中で、「国民の実像」ではなく、「統計の中の国民」としか向き合ってこなかったのではないか。
一方で、野党にも責任はある理由で、野党にもよるが有権者の多くは「消費税廃止」などの極論に耳を傾けるほど日本に余裕があるなんて1ミリも思ってはいまい。
むしろ、日々の買い物で感じる「100円の差」に真剣に向き合ってくれる政党を探しているのではないか。
参議院選挙 最新ニュース(参院選日程:2025年7月予定) : 読売新聞オンライン https://t.co/Lb7PkcRRhd
— 鉄分不足@万博 回目 (@ST345M) June 11, 2025
今、必要なのは“選挙対策のパフォーマンス”ではなく、生活の根幹に目を向けた具体的な経済政策である。
例えば、食料品や日用品への軽減税率の再設計、低所得者層への定期的な生活支援、エネルギー価格の安定化に向けた再エネと原発の現実的な両立策など、地に足のついた議論が求められている。
今回の参院選では、自民党は議席を減らすと予測されている。
それでもなお与党であり続ける可能性は高い。だが、問題なのは「勝ち続けているから正しい」という自己暗示に、党全体が陥っているように見える点だ。
派閥政治の復活も囁かれる中で、自民党が本当に再生を目指すのであれば、まずはこの「驕り」を捨て、国民の声を正面から受け止める必要がある。
「政権与党であること」は、勝ち続けることではなく、常に国民と向き合い、信頼され続けることだ。
その覚悟と誠実さが、今の政治には欠けている。今回の参院選は、そんな日本政治に突きつけられた、国民からの最後通告かもしれないだけに、今回の参院選挙も要注目!!