ララァのシャアへの思慕が・・
全12話『ジークアクス』が圧倒的なスピード感で終わった。
物語を動かしていたのは誰だったのか。誰の心が、この戦争の行方を決めたのか。
その答えが、あまりにも鮮烈で、そしてどこか哀しく響いた。
そう、「全てはララァのために」──。
あの日、宇宙世紀0079 “1年戦争”、において彼女の存在は特別だった。
ララァ・スンという浮世離れしたような少女は、ニュータイプの感応波でシャアの魂と深く結ばれ、同時にアムロの心にも触れた少女。
ファーストガンダムというストーリーにおいて、彼女は“戦いの意味”を突きつける存在であり“人の革新”を象徴する者でもあった。
そして、今回のジークアクス。
すべての因果は、彼女が「向こう側」にいたことから始まったようだ、シュウジが言っている。
なんとあろうことか、ララァとエルメス、マチュらの世界ではシャロンの薔薇が、この物語の黒幕なんて予想しえなかった、そして、そんな結末が待っていようとは。
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もちろん、衝撃はそれだけではなく、戦場に再び姿を現したのは、あの“白い悪魔”。
今やゲームから派生したと言われるガンダムの代名詞ともなった異名が、正式設定として扱われ、白いRX-78-2が敵としてジークアクスと激突する。
その姿を見た瞬間、誰もが、いや私は思ってしまった。
「お願いだから、巨大化だけはやめてくれ」と──。
だが、ジークアクスのガンダムは止まらなかった。
なんと、G-3ガンダムを彷彿とさせるグレーカラーで進化を遂げる。
富野由悠季監督の初期メモや、MSV(モビルスーツバリエーション)で語られた外伝設定を惜しげもなく詰め込むその構成は、もはや一種の供養であり、愛の形だったのかもしれない。
アニメファン、そしてガンオタたちは思い出したかもしれない。
なぜ我々は、RX-78-2のシンプルなフォルムに魅了されたのかを。
複雑な意匠や過剰な武装に頼らず、ただ力強く、ただ美しく、ジークアクスという舞台が、あらためて“原点のガンダム”を再評価させたことは、決して偶然ではあるまい。
シャアは、形は違えど、やはりキシリア・ザビに引導を渡す展開は変わらずも、一つ、とても大きな宿命の書き換えとも言えるたったひとつの“違い”があった。
それは──
ララァが、シャアのゲルググを庇いきれなかったこと。
ファースト本編では、ララァがアムロとシャアの間に割って入り、命を散らした。
だがこの物語では、その犠牲がなかったことが、大きな分岐となった。
結果として、『ジークアクス』という“ありえたかもしれない未来”が生まれたのだ。
ここに描かれたのは、あくまで「IF(もしも)」の世界。
ララァが、シャアのそばで生き続けていたなら──
その先にあった可能性を、私たちはこの作品を通して追体験させてくれたのやもしれない。
それにしても、思わず問いかけたくなること、それはこの物語を、本当に楽しめたのは誰だったのか?
ファーストガンダムやゼータを何度も見返し、設定資料集を舐めるように読み込んだ古参のファンだろうか?
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あるいは、ガンダムを深く知らずとも、カラーの作品ということ、話題性に惹かれてやって来た初見のファンか。
しかし、結局は正解など、ないのだろう。
ただ言えるのは、『ジークアクス』が、あの“始まりの戦争”を現代の映像技術で再構築してくれた奇跡だったということやもしれない。
シャアとセイラの対峙、ルウム戦役時や、ククルス・ドアンは初映像化されたが、ファーストのリメイクは、今後もなさそうなだけに・・
機動戦士ガンダムとは何か。
モビルスーツの強さなのか、人類の進化なのか。
おそらく、その答えは、シュウジの言葉に込められていた。
「ガンダムが、そう言っている気がする」と──。
そう。ガンダムは語るのだ。
人が戦う意味を、愛のかたちを、そして赦しと別れの果てを。
ジークアクスとは、ララァ・スンをもう一度“向こう側”から見つめる旅だった。
その終着点が、我々にとっての希望だったのか、絶望だったのか──
それを決めるのは、見届けたあなた自身である。
そしてまた、これからも時は巡り続ける。
いつか、ララァが本当に「戦わなくていい未来」で微笑む日を夢見ながら、それぞれの人々にとって、「◯◯は、私の母になってくれるかもしれない」女性を探し続けるのかもしれない。