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【閃光のハサウェイ】第2部キルケーの魔女をブライトノアが語る!?

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ようやく第2部が今冬公開

私はブライト・ノア――かつてホワイトベースで若者たちを導き、ラーカイラムでシャアの反乱を鎮めた指揮官だ。

その私が、いまはひとりの父として、息子ハサウェイを描く物語を見守ることになるとは思わなかった。

2021年に公開された『閃光のハサウェイ』第1部は興行収入22・3億円を記録し、劇場で観た私も映像と音楽の洗練に息をのんだのを覚えている。

第1部の映像は、細い線と粒立った光が夜闇を切り裂き、Ξ(クスィー)とペーネロペーの空戦を“音”で体に叩きつけてきた。

だが同時に、夜間戦闘の多さから画面が全体的に暗く、視界を奪われるようでもあった。かつて「親父にもぶたれたことがない」と叫んだ少年アムロと違い、ハサウェイの物語には泥臭さよりも都市の仄暗さと乾いた諦念が漂う――そんな印象を抱いたのだ。

今冬、ついに第2部『キルケーの魔女』が封切られる。かつて告知されていた仮題「Sun of Bright」は改められたが、その変更こそが作品の重心を示しているように思える。

“キルケー”はギリシア神話で男たちを獣に変えた魔女。その名に“ハサウェイを変えた何者”という暗喩を感じるのは私だけではあるまい。

公開決定の報は公式サイトで確認したが、たった30秒の特報の中にレーン・エイム、ペーネロペー、そして再び大気圏を裂くΞの姿が映し出され、胸の動悸が早まった。

父として気掛かりなのは、ハサウェイの脆さだ。

シャアの反乱で彼はクエス・パラヤを喪い、その痛みを癒やせぬまま大人になってしまった。

連邦政府の移民政策に憤り、マフティーのリーダーとなった彼を、私は軍人として糾弾すべき立場にある。

しかし血のつながりは冷たく切り離せない。

第2部では、彼の行動原理――理想を掲げつつもテロという手段を選んだ葛藤が、より深く掘り下げられると聞く。

移民問題という現実的なテーマが、観客に“他人事ではない”緊張を強いるだろう。

鍵を握るのは、やはりギギ・アンダルシアだ。第1部でハサウェイとケネスという、対立すべき二人を翻弄した彼女は、タイトルロールの“魔女”に重なる存在だと私は睨んでいる。

彼女の無邪気さと底知れぬ洞察は、人の心に潜む“変化への欲求”を抉り出す。ハサウェイはギギに何を見、ギギはハサウェイをどう裁くのか――それは父である私にも判じかねる未来だ。

映像面でも期待は大きい。第1部以上に市街地や森林、高高度など多層的な空間を舞台にMS戦が展開するとの情報がある。

Ξが見せる超高速降下は、「モビルスーツが人間を蹂躙する恐怖」を真正面から映し出すはずだ。加えてスタッフがモビルスーツのバリエーション増強を検討したという噂もあり、高高度仕様のギャプランなど“想定外”の機体が登場するかもしれない。

だが、私は派手な爆発よりも、ハサウェイと人々の“選択”に目を向けたい。

テロは断じて許されない。それでも、理想を口にする若者を力で抑え込むだけでは新たな争いを呼ぶだけだ。私は連邦軍人として、かつハサウェイの父として、彼の罪と正義を見極めなければならない。

観客諸君、第2部は“親と子”“国家と個人”という、宇宙世紀に脈々と流れるテーマを改めて突き付けてくる。

冬の劇場で、冷たい夜風のような画と重低音に身を浸しながら、ハサウェイの“閃光”が何を照らすのか、その行く末を共に見届けようではないか。

えぇい、弾幕薄いぞ、何やってんの!!